2011年02月20日

彼女が電気コタツで待っている

窓の外は雪.jpg

 帰宅した僕の買い物袋には、豆腐が一丁だけ入っていた。
「金、持ってなくて、これしか買えなかった。もう一回行って来るよ」

「何でもいいよ。ご飯炊いたし」彼女は風呂上りでドライヤーで髪を乾かしていた。

「ごめん。すぐ用意するから」僕は鍋を探した。二つある鍋は流し台の中に突っ込まれていた。一つはインスタントラーメンの汁が、もう一つにはカレールーがしっかりと、こびり付いていた。二つの鍋を諦めて、実家の母が送ってくれた大型の鍋をレンジに乗せた。たっぷりと水を張ってから、火を付けた。湯豆腐しか頭に浮かばなかった。

 彼女は電気コタツに座って待っていた。大きな鍋をコタツの上に乗せると他には何も乗らなかった。「豪快」と彼女は目を回した。
お湯の中に浮いた豆腐を箸で四つに切り分けた。そのうち二つを彼女の座っている方向にパスした。フワフワと豆腐はお湯の中を泳いで、彼女の箸にキャッチされた。

 醤油を垂らした小皿に豆腐を浸して、ご飯の上に乗せた。「いただき」彼女は微笑んで豆腐を口の中に放り込んだ。僕は彼女の仕草に見とれながら、哀しい気持ちになった。それが、いつか壊れそうで、哀しい気持ちにさせた。

 大なべは大きな湯気を立てた。モワモワと太くて濃い湯気が立った。「暖かいね」彼女は言った。「暖かいですね」僕は答えた後、少し寒気がした。コタツの中の二人を取り巻く、冷たい現実を思って寒気がした。

 コタツの中の彼女の足が僕の膝に触れた。その感触がとてもリアルで、僕はそのリアルさに打ちのめされる思いがした。
 
 鍋を片付けた後、とんねるずのテレビを見た。彼女はコタツに寝転んでウトウトしだした。疲れているのだろう。お互いに仕事の話は一切しなかった。僕と彼女は同じ大学を卒業したが僕だけ就職が決まらなかった。

 テレビがニュース番組に変わって今夜は雪だと告げた。寝転んでいた彼女が跳ね起きた。僕らは窓に近寄って、並んでカーテンを開いた。やっぱり雪だった。
僕らは一緒に何度目かの初雪を見た。僕らは何年間か一緒に初雪を見たのだ。僕は彼女の肩を抱いた。雪は窓ガラスに当たってカサカサと小さな音を立てた。小さすぎて誰にも気がついてもらえないほどの音を。

「来年も一緒に見ようよ」彼女は僕に微笑んでから、寒そうに身体を震わせてコタツに戻った。
僕は彼女からそう言われて自分を責めた。まだ彼女の両親に会いに行くことが出来なかった。

 彼女がコタツで待っている。
僕は彼女を待たせたまま、降りしきる雪を眺めていた。

posted by sand at 11:33| Comment(0) | 超短編小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月13日

Knife

Aztec Camera - Knife.jpg

 今日も雨だった。
昨日も。一昨日も。思い出す限り雨が降り続いていた。
私の頭は、ひどく痛んだ。大箱に詰まった鎮痛剤に引っ切り無しに手を伸ばした。それでも痛みは引かなかった。私は何度も仕事を中断して、リビングのソファに倒れこんだ。

 すべて雨のせいだ。
私は雨にすべての罪を負わせようと試みたが、それも徒労に終わった。そう思えば思うほど、私の気持ちは沈んでいった。沈んだ気持ちは新たな頭痛を呼び、それはまた降り続く雨への呪いを生んだ。雨を責める気持ちは、私の心を萎えさせた。そしてその先には頭痛が待ち構えていた。

 私はそれを繰り返していた。環状線の電車に乗っている気分だった。いつ始まったことだろう? 多分ずっと昔。ずっと昔から、そうだった。

 思いつく限り、私は外出していなかった。私は長い間、自宅で仕事をしていた。誰とも会わず、誰とも話さず、誰にも触れず。
いくつかの宅配サービスが私を支えていた。そして彼女の存在も、その一つだった。

 その日の午後になって、部屋の壁に、ほつれ目を見つけた。最初は壁に糸くずが付着しているのだと思った。近づいて見ると、その糸くずは壁から離れた場所にあることが分かった。その糸は浮かんでいたのだ。

 私は深く考えずに、その糸を引いてみた。糸はスルスルと引き上げられ、その空間に裂け目が出来た。私は40〜50cm引いたところで糸を離した。離された糸は裂け目の終わりに、だらしなく垂れ下がった。

 私は不安な気持ちで、その裂け目を眺めた。しばらく眺め続けた。何も起きなかった。私は恐る恐る裂け目に指先を近づけた。裂け目には湿った感触があった。私は反射的に指を引き、その場を離れた。

 彼女が来たのは、夜も遅くなってからだった。私は玄関先で彼女の濡れたコートを脱ぐのを手伝った。「いつまで続くんだろうね。この雨は?」私が忌々しげにそう言うと、彼女は「あなた次第じゃないの?」と素っ気無く答えた。

 キッチンで新しい仕事を彼女から受け取った。その後、二人でビーフシチューを食べた。彼女はあまり話さなかった。この部屋に来る度に彼女の言葉が減って行くのが分かっていた。無言の空間にスプーンと皿がカチッカチッと音を立てた。その音は私を孤独にした。多分、彼女の孤独もそこにあった。
 
 彼女は、リビングでCDを鳴らした。Aztec Cameraの『Knife』という曲だった。彼女はいつも同じ曲をかけた。誰かが空をナイフで切り裂いて、そこから雨が溢れ出す。そんな曲だった。

 明け方近く、私と彼女は眠りについた。物音に目を覚ますと、彼女は午後に見つけた裂け目の前に立っていた。彼女は裸で、横で燃えるファンヒーターが、赤く背中を照らしていた。彼女の背中を見つめていると、彼女が私をもう必要としていないことが分かった。
 私はそれに傷ついていたが、同時に彼女を気の毒にも思った。

 彼女は裂け目に向かって手を伸ばした。「大丈夫かい?」私は小さく声をかけた。彼女は無言で首を縦に振った。彼女の指先は裂け目の淵を何度か行き来して、ゆっくりと裂け目の中に入った。

「冷たい」と彼女は言った。それからもう一言付け加えた。「この空間は死んでる」

 翌日。彼女が部屋を出た後、その裂け目は消えていた。多分、彼女もここには来ないのだろう。なんとなく、それが分かった。

今日も雨だった。私は窓を開けて、雨空を仰いだ。誰かが、そのナイフで、この空を傷つけたのだ。そして、その空間は死んでいる。
 それは悲しいことでも、辛いことでもなく。ただ雨を降らすだけなのだ。

posted by sand at 14:43| Comment(4) | 超短編小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。