2011年05月29日

ねこ渡船所を夢にみた

Hatfield And The North.jpg
Hatfield and the North

 その夢の始まりに僕は雲の上にいた。渡船所がある場所は厚い雲で覆われていた。
僕は次第に高度を下げて行く。雲の中は湿っていて僕の身体はジットリと濡れ、気持ちが悪くなる。

 ねこ渡船所は埠頭の端っこにあった。海上には水上信号機が設置され、水上交差点では何隻もの船が信号待ちをしている。少し先にある水上ハイウェイでは高速で走る船が切れ間無く続いていた。「ずいぶん賑やかな海だな」と僕は空の上から思う。

 渡船所の駐車場に降り立った。渡船所の地面は体育館マットのようにブヨブヨ柔らかで、僕は足をとられて歩き難い思いをする。渡船所の建物は原色の緑とオレンジで塗りこめられていてケバケバしく感じる。曇り空や荒れた海ともミスマッチで、僕は施工者のセンスを疑う。

 ターミナルは無数の猫たちで、ごった返している。猫たちは身体の一部分だけが他の部分よりも大きく、不恰好に思えた。ある猫は耳だけが大きく、ある猫は片腕だけが大きく、ある猫は片目だけが大きかった。それでも、いずれの猫たちも、それらのハンデキャップに意識的ではないように思えた。と言うより何も考えていないように感じられた。

 改札には尻尾だけが異常に大きな猫が、座っていた。猫の年齢は見た目には分かりにくかったが、かなりの高齢だということが、その話し振りから分かった。

「どこに行く?」改札の猫は僕に向かって話しかけた。僕の右手には「ねこの島」行きの切符が握られているのを、その時、気がついた。「ねこの島に行くみたいです」僕は答えた。
改札猫は見るからに不機嫌そうな顔つきになった。「みたいです。ってどういうことだ? お前の意思で行くわけじゃないのか?」と改札猫は迫ってきた。
「いや。そういう訳じゃなくて、多分、そうなのかな?ってことです」僕は曖昧なことしか言えなかった。ここでは何もかもが曖昧なのだ。

「ばかやろう! ドアホ! 尻の穴! うんこ! クズ!」改札猫は暴言の限りを吐きまくった。僕はオドオドして改札猫の暴言が収まるのを待った。

「なあ青年……」改札猫の暴言モードは収まり、しんみりモードが漂い始めた。僕は分かりやすいオーソドックスな猫だと思った。

「お前に必要なのはな。詰め込んだものを捨てちまうことだ。お前はな、詰め込みすぎてるんだよ」と改札猫は言った。僕はウンウンと機嫌を損ねないように、うなずいた。

「いいか。前に進もうと思うなら。今の自分にサヨナラしたいと思うなら、捨てちまうことが先なんだよ。捨てて捨てて、それでも前に進むなら、どうしても動かせないものが骨のアチコチに、こびりついているのが分かるようになる。生き物にとって必要なモノはそれだけで良いんだよ。それでけで生きて行けるんだよ」
改札猫はそれだけ言うと黙ってゴミ箱を差し出した。ゴミ箱には無数の切符が捨てられていた。僕は雰囲気的に切符を捨てろってことだなと察した。僕はゴミ箱に切符を捨てると改札猫にお礼を言って、そこを立ち去った。

 振り返って改札を見ると改札猫が「バカヤロウ」と次の乗船者に向かって怒鳴っている。多分、あの改札を通れる乗船者はいないのだろうと僕は思う。

 建物を出ると片平なぎさが待っている。断崖に連れて行ってくれると僕に言った。遅れている船越栄一郎の到着を待って、そこに向かう予定だった。僕は待っている間、片平なぎさの白くてプヨプヨしている二の腕を見ていた。「柔らかそうだな」と僕は思った。

 そこで、その夢は終わった。

DODOSUKO3部作(その3)



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やがて夜の雨が訪れる

New Age of Eart.jpg
Ashra / New Age of Earth


 男は玄関のドアを閉めた。まだ夜明け前で、辺りは薄暗かった。
男の手にはボストンバックが一つだけ握られていた。門扉を閉じると表札のプレートを指でなぞった。
 自分の名前と妻の名前。それに二人の子供の名前を指先で読んだ。
それから暫く門の前に呆然と立っていた。これから男が捨てようとしているモノの重みで押し潰されそうになっていた。

 男は何度か携帯で時間を確認した。約束の時間が迫っていた。しかし、そこを離れる事が出来なかった。男は尚も迷っていた。
幾度も幾度も考え続けてきた事だった。男は脳みそが裏返るほど考えた。それでも結論は出なかった。
 男はその場に、うずくまって震え始めた。「やはり、ここを離れることは出来ない」男の心と男の身体は別物のように、その場から動くことが出来なかった。

 その時、匂いが漂ってきた。どこかで嗅いだ事がある匂いだった。その匂いに釣られて男の身体は動き始めた。その匂いのする方向に進み始めたのだ。
雨の匂いだ。

 男は不思議なことに、もうそれ以上は迷わなかった。男は心の中で、ある簡素な言葉の繋がりのようなモノを繰り返し唱えていた。
繰り返し唱えることで、男の足は前へ前へと一歩づつ進んでいった。


  例え、ここに日照りが続き、ギラギラとした太陽が照り付けても、
  例え、ここ風が唸り、カラカラに乾いた砂が舞い上がろうと、
  例え、ここに雪が舞い、シンシンと降る雪に皆の心が締め付けられても、
  やがては、夜の雨が訪れる


DODOSUKO3部作(その2)



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"1・2・3" 三つ数えろ

NEU.jpg
Neu!


 「匂うね」福永は男の後を追って逆方向に歩き出した。
「やめとけよ」俺は福永を止めようと腕を掴んだが、福永はそれを振りほどいて進んだ。

 俺は迷ったが福永の後を追った。
男は見るからにヤバそうな目つきをしていた。脅えたような目だ。男は急いでいた。俺が知っている男の印象はそれだけだ。

 男は急いでいたが、それほど足は速くなかった。時々フラフラとよろめいて人や看板にぶつかりそうになった。
俺は福永の横に追いついた。「あの男は誰だ?」と俺は聞いた。「知らね」と福永は言った。
 男は繁華街で福永とぶつかりそうになった。それから福永は男の後を追った。男と福永の関係で俺が知っているのは、それだけだ。

 男は荒れた地区に足を踏み入れた。だんだんと人が疎らになり、男を尾行するのは簡単になった。俺は嫌な予感がした。
男は雑居ビルが集まる路地裏に入込んだ。風俗店や飲み屋が立ち並ぶ地区だった。ここらは昼間でも冷ややかな空気が立ち込めていた。

 男は路地奥の見るからに荒れ果てた雑居ビルの中に消えた。福永は躊躇せずに男の後を追おうと中に入りかけた。今度は身体を張って福永を止めた。
俺は福永を羽交い絞めにして「どこまで行くんだよ?」と聞いた。「中の様子を見に行く」と福永は平然と言った。
「わかるだろ? どう考えてもヤバイだろ?」と俺が言うと
「行って見なきゃ分からない」と福永は言った。
「俺らは刑事でも行政の人間でもない。一般人だろ。関係ないだろ?」
「どうして関係ない? 自分にとって利益にも不利益にもならない事は関係ないで済ますのか?」
俺は言いよどんだ。福永はストレートな男だった。

「お前の選択肢は2つだ。俺に付いて来るか、ここで引き返すかだ」福永はお前が決めろと俺に決断を迫った。
その時の俺には迷いよりも何か大きな流れのようなものを感じていた。あの場所で福永が男に会った時から。俺と福永が今日会った時から。ずっと昔、俺と福永が知り合った時から。今という時間は決められていたような気がしていた。

 俺はそれ以上躊躇はしなかった。
福永を離すと後を追って雑居ビルの中に入った。階段の踊り場あたりから話し声が聞こえていた。男がもう一人いた。片言の日本語で外国人だと分かった。

「さて、何をやってるのか聞いてみようか」福永は俺に言った。
俺はゴクリと唾を飲み込んだ。福永は俺の肩をポンと叩いて言った。
「行くぞ。相棒。1.2.3。三つ数えろ」

DODOSUKO3部作(その1)



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2011年05月21日

blue.jpg 月.jpg
RC SUCCESSION / BLUE

 夕方、足の爪を切ってたら窓ガラスにコツンと何かが、ぶつかった音がした。
窓から顔を出すと吉村が立っていた。

 ジャージにサンダルをつっかけて、慌てて階段を降りた。
「やあ」僕は吉村に駆け寄って手を上げた。吉村をそれに答えずに片手を突き出した。
吉村の手には小石が五つ握られていた。「1個目で気がついたね」吉村は残念そうに首を振った。
僕は部屋の窓ガラスを見上げて「チャイム鳴らせよ」と言った。

 吉村は「RCサクセションの新しいレコードを聞かせて欲しい」と僕に言った。この前、会った時にそんな約束をしたのを思い出した。
「今、部屋を片付けるから、ちょっと待ってくれ」僕は部屋に駆け戻って、雑誌やゴミを押入れに詰め込んだ。
吉村が…、いや、女の子が部屋に来るのは初めてだった。

 「カーテン無いの?」吉村は部屋に入るなり驚いていた。「うん」僕は答えた。「どうして?」吉村は理解できない顔をしている。
「寸法とか計るの面倒くさいから」と答えた。「面倒かな?」吉村はまだ理解できない様子でカーテンのない窓ガラスの前に立ていた。
僕は彼女を諭すように「ほら、向かいの家の屋根が綺麗に見えるだろ?」と言った。「うん。それが何か?」と吉村はまだ不思議そうにしている。
「いや。見えるよねってこと」僕はそれ以上説明するのが面倒になった。

 吉村は駅前のパン屋で買ったラスクを差し出して「お土産」と言った。僕は礼を言ってラスクを皿の上に広げた。ここのラスクは旨い。我慢できずに1枚頬張った。カリカリして適度に甘くて美味しかった。僕はラスクの欠片をポロポロこぼしながら食べた。吉村は笑ってそれを見ていた。『どうしてそんなに、こぼせるの?』とか言いたげに笑っていた。僕は吉村に笑っていて欲しくて、いつもより余計に、こぼして食べた。

 吉村とは学生の頃に知り合った。仲が良かった。吉村も僕もマイナーな音楽や映画を好んだ。話が合った。だけど、それ以上の間柄には、なれないでいた。女の子はいろんな事を考えてそうで面倒だったからだ。「駆け引き」とか使われたら裸足で逃げ出したかった。
吉村は僕と会っているときに何度か悲しそうな顔をした。僕はどこかで彼女を傷つけているような気がしていた。

 RCのレコードをプレイヤーに乗せて、ジャケットを吉村に手渡した。「コーヒーいれようか?」僕はついでに聞いてみた。吉村は流し台に視線を向けた。台の上にはコーヒーカップが1個乗っていた。中から歯ブラシと歯磨きが顔を出していた。この部屋には飲食用と洗面用の兼用コーヒーカップが1個しかなかった。「ありがとう。でも無理そう」吉村は気の毒そうに断った。

 レコードの再生が始まると吉村は歌詞カードを凝視したまま動かなくなった。自分の好きなことを、やり始めると途端に吉村は周囲が見えなくなった。僕は吉村のそんな所が好きだった。そんな時の吉村は誰にも媚びたり、合わせたり、気を使ったり、自分を良く見せたりしなかった。僕はそんな吉村を脇からそっと眺めているのが好きだった。

 レコードが終わる頃になると辺りの陽は落ちて、すっかり暗くなっていた。カーテンのない窓にはポッカリと月が浮かんでいた。窓の月に気がついた吉村は、その明るさに見入ってしまった。僕が蛍光灯の明かりを消すと、月は益々明るく光り輝いた。

「綺麗だね」吉村は僕のすぐ横に座って言った。僕と吉村はとても近くにいた。手を伸ばせば彼女の髪に触れることが出来た。吉村の長い髪は、月の光に照らし出されて、生き物のように揺れ動いた。

 辺りはシンとして、みんなどっかに旅立ってしまったようだった。ただ月だけが、ここを見守っていた。退屈そうにポカンと空に浮かんで、この部屋を覗いていた。
 僕と吉村を黙って月を眺めていた。
しばらくして、吉村は「コホン」と咳払いをした後「やっぱりカーテンが無いの変だよ」と言った。「そうだね」と僕が言うと「今度、一緒に買いに行こうか」と言った。
「うん」と僕がつぶやくと、吉村は付け加えるように「私のコーヒーカップも買うね」と言った。

 それから僕は吉村を抱き寄せてキスをした。
お月様は、恥ずかしがらずに、それを見ていた。



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2011年05月14日

Please Let Me Wonder

The Warmth of the Sun.jpg
The Beach Boys / The Warmth of the Sun

 うだるような夏日、俺は学生課でアルバイトの求人ファイルを眺めていた。出来るだけ人気のない、出来るだけ人に会わない仕事を求めていた。特に若者に会いたくなかった。
 その日のうちに面接を受け、その日のうちに採用の返事を貰った。
その夏、俺は葬儀社で働く事にした。

 基本的な就労内容は、初盆の飾り付けの補助だった。だが、採用担当者は「もっと早くから勤務出来るか?」と聞いてきた。その夏、俺の予定は一切なかった。「いつからでも、働きたい」と俺は返事をした。「じゃ明日から」担当者は言って、ホッとした表情をした。夏休みに葬儀社でバイトをしたい人間は、そうそういないのだろう。

 人気のない仕事だ。若い女の子の影もない。だから時給は悪くなかった。でも時給なんて、どうでも良かった。俺は無心に働きたかった。そして、その夏がとっとと過ぎ去ってしまう事を望んでいた。

 葬儀社の朝は早かった。俺は早朝6時過ぎに出勤し、すぐに般若心経を読まされた。朝礼が終わるとその日の葬儀の準備に取り掛かった。発注された棺桶を準備し、トラックに積み込んだ。バックヤードには値段ごとに棺桶が並べられていた。「じゃ〜それ積み込んで。それ5万のヤツね」俺はスベスベした棺桶を台車に載せ、布で磨き上げた。花輪や白黒の幕、祭壇を作る機材を積み込んだ。葬儀の準備は、かなりの重労働だ。

 トラックの助手席に乗って、死者の家に向かった。古いトラックにはクーラーが付いていなかった。俺は助手席の窓を開け、ひじを窓枠に乗せて目的地に向かった。強い風が吹き込んで、俺の額に浮かぶ汗を吹き飛ばした。夏の日差しは強烈だったが、その頃の俺は(今から思えば)理不尽なほど若かった。

 葬儀社の社員は陽気な男が多かった。運転席の若い社員は、AMラジオから流れてくる演歌に合わせて、こぶしを震わせて歌い始めた。
 「歩のない将棋は〜♪負け将棋〜〜〜んか♪」
俺はそれを見てハハハと笑った。俺は、ほとんどの社員から可愛がられた。同年代の人間と一緒にいるのは苦痛だったが、年上の人間となら、そうでもなかった。

 俺は無口で無愛想だったが、仕事は手を抜かなかった。会社に残って、同僚の仕事も手伝った。俺は同年代の学生の中でも変わり者だったが、ここに勤務する社員はそれ以上に変わっていた。
 会社を経営していたが、社内クーデターで追い出されてしまった50代の恰幅の良い男。ペニスに真珠を埋め込んだ、SEXだけが生きがいだと語る男。不倫の末、女房子供を捨てて不倫相手と一緒になったが、また違う相手と不倫を始めた懲りない男。異様に無口だが、時々切れて暴れだす危ない目つきをした男。小指が切り取られた男…等々。

 それぞれが重苦しい過去を持っていた。彼らは車の中で、それぞれの過去をあっけらかんと語り、ナハハと笑い飛ばした。俺は助手席で彼らの話を聞き、時々うなずいた。

 祭壇の飾り付けが終わると、布団の上に寝かされた死体を、棺桶の中に移し変えた。それらは遺族によって行われたが、俺はドライアイスを棺桶に敷き詰める作業を手伝った。死体の耳元や首筋付近にドライアイスを敷き入れた。その夏、どれほどの死体を見ただろう。死体を見るのは怖くなかった。生きている人間の方が遥かに怖かった。

 一度だけ、とても美しい女性の死体を見た。まだ若い女性だった。眠っているような傷一つない穏やかな死顔だった。俺は普段より顔を近づけてドライアイスを詰め込んでいった。詰め終わって、顔を上げると妙な気持ちになった。どう言い表したら良いのか分からない。

 俺は辺りを見回してから、もう一度、身体を倒し、その女性の耳たぶを触った。

 バイトが休みの日は、朝早く起き出して、バイクで海岸に向かった。と言っても、あまり目立たない狭い浜辺を持った海岸だ。真夏でも若者の姿は、それほど見当たらなかった。近所に住む子供達と、その母親。それに何故だか老婆の姿が多かった。浜辺に着くと、Tシャツとジーンズを脱ぎ捨て、砂に腰を下ろした。コンビニで買ってきた缶ビールを喉の奥まで流し込んだ。

 それからウォークマンのイヤホンを耳にはめ込み、砂の上に寝転がった。ウォークマンには『The Beach Boys』のカセットが入っていた。その夏は、そのカセットだけを聴いて過ごした。
『Surfin’ U.S.A.』や『Fun, Fun, Fun』なんかの陽気なナンバーは外して、少しウェットなナンバーだけを選んでカセットを作った。
『Don’t Worry Baby』や『In My Room』や『Girls on the Beach』や『Caroline No』とか、そんな感じだ。

 Beach Boysを聴きながら、あまりに青過ぎて距離感のなくなった空を眺めていた。俺は一人ぼっちだったが、寂しくはなかった。俺はそれで良かった。それは俺が選んだ事だ。

 だが、一人では何も変わらない。変えられない事にも気が付いていた。俺は一人の心地良さを求めながら、それとは別の気持ちも抱いていた。つむじ風みたいな強風が吹いて、何もかも変わってしまうのだ。それまでの自分が一瞬で変わってしまう。そんな魔法みたいな出来事を待ち望んでもいた。

 『Please Let Me Wonder』が何よりも好きだった。ブライアン・ウィルソンの弱々しい声で、そう歌われると、心の中のどっかの部位が無意識に反応した。そして少しだけ熱い気持ちになった。
 
 俺は青空に両手をかざし、指の匂いを嗅いだ。その指に染み付いた死者の残滓を嗅ぎ取ろうとした。
 戻る場所を失い、さ迷い続ける匂いを、俺は、どうしても受け取る必要があった。




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2011年05月07日

若葉のころ/眠る鳩

若葉.jpg
若葉のころ ビージーズ作品集

 車を走らせて叔父の家に向かっていた。5月のゴールデンウィークも終わり、町には静けさが戻っていた。
叔父の家を訪れるのは十数年ぶりだった。訪問の目的は少しばかりのお届け物とある人の消息を尋ねるためだった。
 その人は真理子という名で、私は独身時代の数ヶ月を彼女と同じ職場で働いていた。

 今から十数年前、私はそれまで働いていた仕事を辞め、家業を継ぐことになった。実家に戻る前の数ヶ月間、私は叔父の家に寝泊りして仕事の見習いをした。同じように自営だった叔父に営業を教わるためだった。

 真理子さんはそこで事務の手伝いをしていた。真理子さんも体調を壊して、それまで働いていた職場を辞めたばかりだと叔母から聞いた。彼女の母と叔母が知り合いだったようで、週に何日か事務の手伝いを頼んだと聞かされた。

 彼女は綺麗な顔立ちをしていたが、病気明けのためか、ひどく痩せていて、頬がこけ、顔色も悪かった。それでもその清楚で凛とした佇まいに心引かれた。と言っても当時の私はチャラチャラした軽薄な男で別に付き合っている女の子もいた。何度か真理子さんを食事に誘ったがアッサリ断られた。諦めかけた三度目に公園に誘うと意外に簡単にOKが出た。ボートに乗りたいと言うので晴れの日曜日に彼女を誘い出した。

 その日はとても暖かな五月晴れで、私はデート中に関わらず幾度も居眠りをしていた。その公園には比較的大きな池があり、白鳥の形をしたボートやペタルを漕いで進むボートが何艘も池に浮かんでいた。私たちは普通のオールを使うボートに乗った。池は四方を森林に囲まれ、滴るような緑が周囲はもちろん、水面にも映し出されて、深い深い森の奥に浮かんでいるように感じられた。彼女は白いワンピースにつばの広い帽子を被り、典型的なお嬢様スタイルだった。私は古い映画のワンシーンのようだと思った。彼女は片手を水に浸し気持ち良さそうに微笑んでいた。

 その時の私はとても眠くて、睡魔と闘いながら彼女の仕草を目で追っていた。私はウトウトしながら何度か鳩の鳴き声を聞いた。「鳩がいるのかな?」私は辺りを見回して彼女に尋ねた。真理子さんは私に視線を合わせて「いいえ。鳩は寝ています」と言った。

 そんな風にして彼女の眠る鳩の話は始まった。彼女はお婆ちゃん子で二人で鳩の世話をしていた。彼女と祖母はとても穏やかで楽しい日々を過ごしていた。月日が流れ、彼女の祖母は病魔に侵され、やがて帰らぬ人となってしまう。彼女は大変、嘆き悲しんだが、不思議なことに祖母が死んだその日から飼っていた鳩が見当たらなくなっていた。なおさら彼女の悲しみは増して半狂乱になってしまったと言う。しばらくして意外な場所でその鳩を彼女は見つける。それから彼女の気持ちも次第に治まっていったと言う。

「鳩は私の中に眠っていたの。そんな気がするって事じゃないわよ。私の胸の奥から鳩の寝息や羽が擦れる音が聞こえてきたの。そのうち鳩の鼓動も身体の温もりも伝わってきた。きっと御婆さまは私に鳩を託したのよ。そして、その事が、私は生き続けなければならないと気付かせてくれた。多分、その時になって初めて御婆さまの死を受け入れることが出来たんだと思う。私は生きる。そしてその鳩を決して目覚めさせてはいけない」

 日差しは眩しく私は宙に浮かんでいるような錯覚に陥った。彼女の身体は時々透き通って向こう岸の緑に溶け込んでいるように見えた。でも、それは錯覚で、私はとても眠かった。

「私はそれからとても静かに生活することにしたわ。大きな音や激しい揺れを極力避けて生活した。私の鳩が目覚めないように。
 それから私は考えたわ。これは素晴らしいことなんだって。考えてみて。世界中の人の胸に鳩が眠っていたら。この世界のすべての人に無垢な鳩の寝息が聞こえたとしたら、きっと世界は変わると思うの……」

 真理子さんの話で覚えているのは、それが全部だ。私はひどく眠くなって、それ以後の記憶が曖昧になっていた。その日彼女と、どうやって別れ、どうやって自分の部屋に辿り着いたのかも覚えていない。ただ私はその夜から、高熱を出して数日寝込んだことだけは覚えている。

 ほどなく私は実家に戻り家業を継いだ。あの日の後、何度か真理子さんと顔を合わせたと思うが、その時、どんな会話をしたのかまでは覚えていない。不思議なくらい、その辺りの記憶が曖昧になっていた。

 私は叔父や叔母に会って、真理子さんと連絡を取りたかった。もちろん今の私は結婚して子供もいた。彼女に会って私に今起こりつつある事を相談したかったのだ。

 叔父の家は数十年前と少しも変わっていなかった。叔父と叔母は少し歳を取ったが、まだまだ健在だった。私は軽く近況を話し合った後に、真理子さんの話を切り出した。
「一緒に働いてた。マリちゃんって今どこにいるのかな?」
叔父と叔母は不審な顔をして「マリちゃんって誰?」と聞き返してきた。
「何、言ってるんですか、事務の手伝いをしてたじゃないですか。真理子さんですよ。病気の療養中で」私の問いに叔父と叔母は首を振るばかりだった。叔母は堪り兼ねたように「お前が家で働いてるときに事務の手伝いをしてたのは、お前も知ってる従兄弟の明美だったじゃない」と言った。叔父もそうそうと頷いた。

 確かに明美なら子供の頃から良く知っている。昔から体格が良くて明るくサバサバした性格でガハハと豪快に笑う。そんな訳がない。確かにその事務机に髪を束ねた真理子さんが座っていた。青白い顔をして弱々しく微笑んだ。「ちょっと、その時撮った写真持ってくるよ」叔母は母屋へ駆け出して行った。
 当時、明美は仕事を辞めてブラブラしていたので、叔母さんが強引に事務の手伝いをさせたと叔父は説明した。お前と始終ケンカしていて賑やかだったよ。と付け加えた。

 叔母は写真を手にして戻ってきた。写真には20代の私が写っていた。叔父と叔母、それに真ん中で大きな口を開けて笑っているのは確かに明美だ。この家には、小・中学校の時に何度か来ただけで、それから、ここで働いていた時まで一度も来ていない。それ以後も今日まで来ることはなかった。でも間違いなく私は真理子さんとここで会話した。叔父たちと四人で食事もした。私は記憶の足跡を追った。それでも決まって同じ場所に辿り着くだけだった。

 混乱した頭で叔父と叔母に別れを告げ、車をあの日に真理子さんと行った公園まで走らせた。深い緑に囲まれた池のほとりまで来て、私は彼女の気配を感じた。彼女はここに身を潜めているのだ。誰かに近づくと、その人の記憶にソッと忍び込む。そして彼女の鳩を産み付けるのだ。

 不意に爆音とともに花火が打ち上げられた。この公園のグランドでイベントが始まったのだ。ロックバンドが爆音を撒き散らし、大勢の人の歓声が響き渡った。私はその場にうずくまって両耳を塞いで震えていた。私は自分の胸を大切に大切に守った。
 
 私の鳩が目覚めないように。



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2011年05月01日

I Am A Child

Last Time Around.jpg
Buffalo Springfield / Last Time Around

 ジムから戻ると妻のアキコと次女のユリナが昼ごはんを作って待っていた。
土曜日は朝のうちに仕事を切り上げて、午後からゆっくり過ごす。仕事帰りに近所のジムに寄って汗を流す。
ユリナは高校生にもなるが土曜日は家族の日と決めていて彼氏や友達との約束を入れていない。

 お風呂にゆっくり浸かって、3人でお昼ご飯を食べる。炊き立てのご飯とお味噌汁とお漬物と…まあ、そんな感じで質素に済ます。桃や.jpeg
今日のお味噌汁には、しめじとミョウガが入っていた。辛子明太子と桃屋の若摘み葉唐がらしをご飯に乗せてモソモソ食べる。
桃屋の若摘み葉唐がらしが最近の私のブームだ。

 アキコとユリナは、ユリナのバイトの話で盛り上がっている。私はテレビを横目で見ながら会話に入って行けないでいる。
「アヤネとユリナがね。お父さん改造計画を練ってるんだって」アキコが少し気を使って会話を振ってくれた。
「俺、改造したら大変なことになるぞ」私は多少ウケ狙いで話しかけたが、さっぱり、ウケなくて無視された。またテレビに視線を戻して少し凹む。

 もう何年も娘の目を見て会話が出来ない。恥ずかしい。自分は薄汚い中年だと必要以上に意識しているのかもしれない。いつも頭を悩ましているが、どうにもならない。
どうにもならないまま、長女のアヤネは関西の大学に旅立ってしまった。
 私が悩んでいるのを知ってかアキコが「二人ともお父さんを尊敬してるって言ってたよ」と嬉しいことを言ってくれる。私はもう少し詳しいことが聞きたい。掘り下げて検証したい。私は次の言葉を待つがアキコの話しには一貫性がなく、あっちこっちに飛んで行って、もう戻って来なかった。

 食後、自分の部屋でぼんやりCDを聞いてると、関西にいるはずのアヤネの声が聞こえた。慌ててリビングに顔を出すと、アキコとユリナがパソコンのスカイプでアヤネと話をしている。「ああ、スカイプか」私はパソコンの中のアヤネをチラ見する。元気そうだ。

「ああ、お父さん、アヤネがね。プリンタの印刷が出来ないんだって」とアキコが私の顔見るなり言った。
 おお。私の出番だ。私はこの方面でのみ存在感を示せる。「ああ、どいて。どいて」私は急に偉そうになる。私がアヤネに設定を教えていると、アキコとユリナは部屋を出て、どっかに行ってしまった。

 印刷の設定は簡単に済んだ。私は印刷が出来るか確認して「じゃあな」と言ってスカイプを切ろうとした。すると「ああ、お父さん」とアヤネが止めた。
 それからアヤネは「お父さん、ありがとう」と言った。私は一瞬言葉が出なくなる。娘にいろんなことを伝えたかった。でも私が伝えることなどに何の価値があろう。すべては娘が経験して学んで行くことだ。
「お前の好きなことを思い切ってやりなさい。お父さんとお母さんは、それが一番嬉しいよ」私はそれだけ言ってスカイプを切った。

 ソファに寝転んでいるとアキコが戻ってきて「アヤネと何か話せた?」と聞いてきた。私は「別に」と答る。アキコは見下すように「ほんとに子供ね」と吐き捨てて、またどこかに行ってしまった。

 私はソファに寝転んでリビングに差し込む午後の柔らかな日差しを浴びている。窓から差し込む日差しは黄色いカーテンで大部分が遮られていた。それでも、幾らかの光がカーテンを通り越して私に届いている。多くの物事は、そんな感じで、幾らか届いているものだ。
 届いているのだと思う。



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