2011年06月26日

その夏、僕らは首縊りの家にいた

Islands.jpg
The Band / Islands

 18の夏に運転免許を取った。最初に行ってみたいと思っていた場所があった。小学5年の途中まで住んでいた、生まれ育った家だった。父は誰かにその家を売ったのだが、山の中にポツンと建っている不便なだけの家だった、今は空き家になって放置されていると聞いていた。小学2年の冬に祖父がその家の裏で首を吊った。僕はもう一度その場所に立って、祖父が最後に見た景色を眺めたかった。18歳の青年の抱える悶々とした悩みを解く鍵が、その場所にあるような気がしていた。そこで何かが待っているような気がしていた。

 高校を卒業した頃から弟と会話しなくなった。僕は弟をいつまでも子分のように思っていたが、弟はそんな僕を疎ましく感じていたようだった。それでも、その場所には弟と行く必要があるような気がした。僕は弟にその事を話すと、すんなり了承した。弟にも何か思うことがあるのだと感じた。僕たちは日程を合わせて日付を決めた。他の家族には内緒にした。

 その日は朝から強烈な日差しが照りつけていた。8月の真夏日だった。母の車を借りて、山の中に埋もれた家に向かった。弟は助手席の窓を開けて外の景色を眺めていた。僕は運転免許を取得したばかりで余裕がなかった。冷や冷やしながら必死にハンドルを握っていた。その車の中では一言も会話しなかった。カーステレオから雑多な年代のアメリカンロックが流れていた。The Bandの「Georgia on my Mind」、Eaglesの「Hotel California」、Creedence Clearwater Revivalの「Green River」、Beach Boysの「I Get Around」……。

 昔住んでいた家は藪の中に埋もれていた。僕と弟は照りつける日差しに顔をしかめ、大粒の汗を流しながら、廃墟に分け入った。建付けの悪い母屋の雨戸は直ぐに開いて、容易に中に侵入できた。中はかび臭く、真夏でも冷たい空気が閉じ込められていた。他人の住んだ後で昔の記憶とは微妙に違っていた。僕たちは少なからず失望して母屋を離れた。母屋の横に農作業の道具を収納する納屋があった。そこは、ほぼ昔のままだった。僕たちは子供に帰って、梯子で納屋の2階に上ってみたりした。子供の頃、弟と二人で「かくれんぼ」をして遊んだ。弟はこの隅で米の袋を被って隠れていた。弟はいつも同じ場所に隠れて、いつもすぐに見つかった。

 建物の裏手に牛小屋があった。僕の記憶にはないが、その昔には牛を飼っていたと祖母から聞いた。そこには薪が積み上げられていて、僕は学校から帰ると祖母の手伝いで薪割りをしていた。その後、風呂の焚き付けをした。薪に火を移す作業はとても難しく、僕は何度も祖母から火の起こし方を習った。裏にはニワトリを飼っていた小屋もあった。お祝い事があるとニワトリを締めて食べた。首を切り取られたニワトリをタライの上に吊るして、一晩かけて血を抜く作業を手伝わされた。

 裏山に登っていく小道の横に祖父が首を吊った大きな柿の木があった。今は誰かに切り取られて、もう無かった。僕はその場所に立って辺りを見渡した。昔、見慣れた景色が広がっていた。そこは昔と少しも変わっていなかった。多分、これから先も、ずっと変わらないのだと感じた。その場所は開発などから見捨てられた離村なのだから当然の事であった訳だが、それとは別に、時代と共に変わって行けなかった祖父の終焉と重なって哀しい景色に見えた。変わる事にも、変わらぬ事にも、覚悟が必要なのだ。祖父にはその覚悟がなかった。変われぬ自分を嘆き、変わろうとしない自分を受け入れられなかった。弱い心を持った祖父を哀れんだ。と同時に祖父の死は、それほど特別なものではないと感じた。いささか自分勝手だが、普通に生活する人間であれば誰もが抱いている気持ちだった。祖父はその一線を越え、僕たちは、まだこちら側にいる。それだけの事なのかもしれない。

「川に入ってくる」弟は僕に告げて、子供頃一緒に川遊びをしていた小さな川まで歩いて行った。
夏休みになると裏山にクワガタやカブト虫を取りに行った。川に入って川魚を素手で取った。川に入るときは祖母が付いて来て、小さな橋の上から僕たちの遊ぶ姿を見守っていた。

 僕は先に川に入った弟の姿を、祖母が見守っていた橋の上から眺めた。
弟はしばらく石の裏に手を差し入れて川魚を探していた。僕は橋の上から弟に向かって声をかけた。
「何かいたか?」

 弟は首を振って答えた。「もう、ここには何もいない」




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posted by sand at 06:24| Comment(2) | 超短編小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月25日

Avenue of Stars(接続詞の探し方)

Andromeda Heights.jpg
Prefab Sprout / Andromeda Heights

 僕は夜の病院に忍び込んだ。裏庭に回ると植え込みの陰に、人が立っているのが分かった。彼女だ。夏の星座に照らし出された彼女は、この世の者とは思えないほど綺麗だった。実際、彼女は違う世界に住んでいた。僕らが暮らす世界とは、僅かに違っていたのだ。

 精神に疾患を抱えた母の入院生活は、実社会とは隔離されたものになった。母は拘束されることさえ無かったが、外出等を厳しく制限された規則正しいサイクルに身を置くことで社会復帰を目指していた。母の入院した病院は、小高い丘の上にあり四方を緑の芝生に囲まれていた。僕は授業が休みになると、都心部から離れた場所にある病院まで、列車を乗り継いで面会に訪れた。母との面会は気の重くなる務めではあったが、僕にはそれとは別に、ささやかな楽しみがあった。母といつも一緒にいる入院患者の女の子と会えるからだった。
 彼女は恐らく僕と同年代で(少し年上かもしれない)まるで人形のような美しい顔をしていた。何もかもが選りすぐられたように見事に整っていた。長い睫毛、大きく見開かれた瞳、ほっそりとした高い鼻、薄く哀しみを湛えた唇。だがそれらが、あまりに整いすぎているが故に、彼女の美貌は現実から遊離しているかのように感じられた。

 彼女には表情というものが見当たらなかった。いつも無表情で煙草を吸っているだけだった。
僕が母の面会に訪れると彼女は決まって母の隣に座って煙草を吸っていた。「やあ元気かい?」僕は暗い声で母に声をかける。「ああ、元気だよ……」母はまるで魂の抜けた死人みたいな表情で、他人事のように答えた。僕はその顔や声を目の当たりにすると、やり切れない気持ちになった。
それから僕らは、ひどく間延びした臨場感の無い面会を神妙にこなして行った。母は朦朧とした表情で煙草を吸い続け、時折、思い出したように僕に話しかけた。僕はそれらの質問に辞書を引くように慎重に言葉を選んで答えを返した。母を傷つけたくはなかった。というのも、それは新たな問題を僕自身が抱えることになるからだ。僕は、母はともかく、母の病気にはこれ以上関わりたくはなかったのだ。

 彼女は母に寄り添うように座って、僕らの会話をぼんやりと聞き入っているようだった。僕は彼女の美しさにドキドキしながらも、どこかで怖さを感じていた。それは彼女の美貌に対してであり。彼女の病気に対してであった。
 彼女は終始無表情ではあったが、そのどこかに僕に対する好意のようなものを感じていた。それは彼女の目の動きや顔の表情や指先の動きに表れているような気がした。自惚れかもしれないが、僕はその事に僅かな優越感のようなものを抱いていた。彼女のような美い人は、僕には縁遠い存在だったからだ。
そして、それは程なく現実のものとなった。非現実な現実となった。

 それは母がトイレに立ち、僕と彼女が二人きりになった時に起こった。
「私、あなたが好き」彼女はいつもの無表情で、そう切り出した。僕はとても狼狽した。それは彼女の病気が言わせているのか、本来、彼女はそういうタイプの女性なのか判断出来なかったからだ。もちろん僕は安全策を取った。「どうも、ありがとう」僕はそう言って彼女から視線を外し、テーブルに置かれたコーヒカップを眺めた。彼女の言葉はそれ以上続かなかった。そして僕もそれ以上の返事は用意していなかった。

 二度目にそれが起った時、僕と彼女は並んで歩いていた。
母との面会を済ませた僕は、バスの停留所に向かっていた。彼女は後から小走りにやってきた。「歩ける?」彼女は僕に追いついて言った。僕はうなずいた。
 病院の敷地内にある緑の芝生を、僕らは並んで歩いた。「良い天気ね」彼女は歩きながら空を見上げた。良く晴れた空から爽やかな風が吹き抜け、彼女の長い髪を揺らしていた。 僕には彼女と話すべきことは何もなかった。僕はただここに来て、そして帰って行くだけなのだ。その気持ちと相反するように僕は彼女と歩いていたかった。妖精のような美女と、ただ歩いていたかったのだ。初夏の陽射しを受けた彼女の横顔は薄っすらと微笑んでいるように見えた。彼女は、ごく普通の女の子だった。実際、そうなのだ。実際、夢みたいに魅力的な女の子だったのだから。

「今夜10時に、この場所で待っている。あなたと星空が見たい」彼女は、それだけ言い残すとスタスタと病棟に戻って行った。


 裏庭に回ると植え込みの陰に人が立っているのが分かった。彼女だ。夏の星座に照らし出された彼女は、この世の者とは思えないほど綺麗だった。僕は彼女の横に寄り添った。
 彼女は僕の顔を見ることもなく、夜空を見上げたまま話し始めた。それは彼女の身の上話と言えるものだった。ここでの生活、病気の具合、家族の事、友人の事、学校の事、将来の夢、そして不安……。彼女の話は途切れる事なく続いていった。やはりそれは一方的で会話と呼べる種類のものではなかった。
 僕はしばらく彼女の話に耳を傾けた後、彼女の話の中には決定的に足りない物がある事が分かった。
 彼女の話には『接続詞』が、まったく含まれていなかった。

 彼女の話は、ふわりと舞い降りるように始まり、次第に熱を帯び、感情の昂ぶりを見せ、やがて沈静し、最後は沈み込むように消えていった。それらが波を打つように繰り返された。だが一つ一つの話には、不可解なほどに関連性が見られなかった。彼女の身体からは無数の糸が振り撒かれるのだが、それらはどれもブツ切れで、そのどれとも繋がってはいなかった。それ故、その話が彼女を理解する為ものにはなりえず、益々、不可解な存在へと導いているのだった。彼女は話せば話ほど、理解を求めれば求めるほど、彼女以外の人間との接続が不可能な状態だった。
 彼女の苦悩や不安や夢は、塵のように飛散するだけで、他の誰とも結び付くことは無かった。それは、とても残酷な事のように思われた。

 長い時間、話し続けた後に、彼女は疲れたように無言になった。僕は、いくらかホッとした気持ちで星空を見上げた。夜空に瞬く星々は恐ろしいほど難解な構文を眺めるように複雑に絡み合っているように見えた。もつれ合っているように見えた。
 気がつくと彼女の顔は、僕の胸の中にあった。

 それから彼女は、初めて僕に意見を求めた。「私の頭の中は壊れてしまったの?」
僕は、その言葉を聞いて胸が熱くなった。
「違うんだ。君は『接続詞』を失くしただけなんだ。君も僕の母さんも『接続詞』を見失っただけなんだ。そして、それはきっと見つかる。いつかきっと見つかる」僕は、僕の胸の中で震えている彼女に、そう言った。でも、それは真実じゃない。真実は、そんなにロマンチックでも夢見心地でもない。彼女はシリアスな病気を抱えているのだ。残酷なほどに彼女の一生を食い尽くそうとしている凶悪な病気をだ。彼女も彼女の家族も、その重みを一生背負い込んで生きていくのだ。僕の母が、そうであるように。

 それでも僕は、それを信じたかった。彼女や僕の母が見失った『接続詞』が、この星空の中に紛れ込んでいる事を。この入り乱れた星屑の中で見失ってしまった事を。
 そしていつか、この星空の混乱が解けた時、それは彼女たちの元へと返されるのだ。

 『そして』



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posted by sand at 13:04| Comment(0) | 超短編小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月12日

幸福な質問

Waiting for Sun.jpg
The Doors / Waiting For The Sun

 男が部屋に入ってくる。髪や服は乱れ、少し酔っている。
男は乱暴に上着を脱ぎ捨てるとベッドに身体を投げ出す。しばらく呼吸を整えて上半身を起こすと携帯電話を取り出し、しばらくの間、考え込む。

 やがて男は首を振って立ち上がり、携帯を置くとバスルームに向かった。男のいる部屋は標準的なビジネスホテルだった。
シングルベッドに書き物机。ベッド脇には電気スタンドと数枚のメモ用紙、それにボールペンが添えられていた。狭いバスルームに姿見が一枚。小さな窓からは隣のビルの壁しか見えなかった。

 シャワーを浴びた男がベッドに戻ってきた。男は時間を確認する。午後の9時。もう一度、携帯を握りコールを鳴らした。数コールで女が電話に出た。若い女だった。
男は一瞬躊躇する。しかし男は構わず声を発する。「俺だよ。お父さんだ」

 お父さんと名乗る資格がないことを男は充分理解していた。しかし、そう名乗るのが手っ取り早い方法だった。離れて暮らしてはいるが、男が彼女の父なのは間違いのない事だった。
電話口の若い女は声を詰まらせたが、やがて「ああ」と曖昧な返事をした。
「近くまで来ているんだ。お母さんに代わってくれるかい?」男は早口で言った。
「お母さん。今、出かけてる。今日は遅くなるって」若い女は答えた。

 男は少し落胆したが、久しぶりに娘の声が聞けて安心していた。「そうか。じゃあ、また電話するよ。お前の声が聞けて良かったよ」男は電話を切ろうとした。
「あ。近くに来てるって何かあったの?」意外にも娘は話を続けた。離婚してから元妻は、娘と男が二人だけで会話をするのを許さなかった。しかし娘も二十歳を過ぎていた。彼女は自発的に行動を起こせる歳になっていた。

 男は今日の葬儀の話をした。亡くなった親戚は、彼女も何度か顔を合わせていた。「そうなんだ。叔父さん亡くなったんだ」娘は寂しそうな声を出した。妻と別れることで様々な縁が寸断されて行った。男には、それらを引き受ける覚悟があった。男が選んだ道だったからだ。でも娘にはそれを強いることは出来なかった。長い時間をかけて現実を受け入れて貰うしか他に方法がなかった。

「大学はどうだい? 楽しいかい?」男は話を変えて聞いてみた。娘は大学生活の話をしてくれた。男はとても嬉しかった。もう娘と話をすることなど諦めていたからだ。「そうか。頑張れよ。力になれることがあったら言って欲しいんだ。お前にその気持ちがあるのなら」男は娘の話に耳を傾け、娘が安心できる言葉を選んで返した。

 男は元妻の気持ちを考えると、長話をする事は出来なかった。適当な話の切れ目で電話を切ろうとした。
「あ、ちょっと待って。今、ホテルにいるの?」娘は意外な質問を始めた。
「ああ。いるよ」男は答えた。
「今、受話器を持っているのは左手?」娘の質問は続いた。
「そうだ。左手」男は左手に携帯を持っていた。

「じゃあ。右手にペンを持ってる?」
「…そうだ。確かに持ってる」男は驚いた。自分でも気が付かない間にホテルに備え付けのボールペンを握り締めていたからだ。

「そのペンで何か走り書きしているよね? 英語の文字でしょ?」
娘の言葉に間違いなかった。男は無意識のうちにメモ用紙に走り書きをしていた。たぶん昔からそんな癖があったのだと思う。娘とまだ一緒に暮らしている時から。
メモ用紙には簡単な英語の文字が書き込まれていた。大昔に流行ったヒット曲のタイトルだった。娘が産まれる、ずっと前に流行った曲だった。

「そうだ。ここに、なんて書いてるのか、わかるのかい?」今度は男が娘に質問した。
「わかると思うよ。昔、私がお父さんと呼んでいた人だったら、そこには『Hello, I Love You』と書いてる」

 男は唇を震わせて「そうだ。当たりだよ」と答えた。そして、電話を切った後も、ずっと、その言葉をペン先でなぞった。

☆超短編小説会さんの同タイトルに参加したお話です。





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posted by sand at 06:09| Comment(0) | 超短編小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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