2005年12月22日

2000 Miles N(It Must Be Christmas Time)

You Know Who Your Friends Are.jpgうるめ.jpg
The Pretenders / You Know Who Your Friends Are

僕は、暗闇の中で女の湿った唇に触れた。
そこにもアキコはいたんだ。そこに存在を殺して潜んでいた。

アキコは僕の過去の至る場所に影のように寄り添っていた。それは学校の校庭であり、洗面台の鏡の中であり、会社の窓ガラスへの投影であった。
アキコは僕の不安を共有し、またそれを自ら引き受けてくれた。
僕はそんなアキコを愛し、同時にアキコが住みついた僕の過去そのものを、丸ごと愛する気持ちに変わっていった。

過去となって残された、あらゆる出来事は、何もかも必然だったんだ。一つとして欠かす事の出来ないものだったんだ。僕の過去は僕そのものだったんだ。
僕は自らの過去を許し、自らの過去を受け入れる。そう決めた。

不意に洞穴の方向で爆音が響いた。洞穴を抜けて爆風が襲ってきた。吹き飛ばされるほどの衝撃風だ。僕は慌てて水中に潜り、身を隠した。水上を暴風が駆け抜けて行く。
同時に心の川全体がユサユサと揺れ始めた。ひどい揺れだ。僕は水中でバランスを失った。息継ぎに水上に顔を上げると爆風は収まっていたが、川全体の揺れはさらに激しさを増していた。川岸に突き立てられた象牙を思わせる白い柱がミシミシと音を立てて揺れ始めた。その軋みは次第に激しさを増し、まるで象の鳴き声のような甲高い唸りに変わっていった。川岸に何頭もの象が集り、一斉に鳴き叫んでいるようだった。
さらに地鳴りのような音を伴って洞穴から大量の土砂が崩れ落ちて来た。
次ぎの瞬間、目も眩むような光の矢が暗闇めがけて飛び込んできた。瞬時に光は闇を切り裂いた。破壊された闇の残骸は、粉々になって心の川に落下していった。
僕を映した過去の残像も色取り取りのステンドガラスの破片に姿を変えた。それらは川面に、花を咲かしたように浮かび上がり下流へと押し流されていった。
揺れに耐えかねた白い柱は、大きく傾いだ後、水面に叩きつけられるように崩壊した。高い高い水柱が上がり、轟音が木霊した。川岸に立ち並んでいた白い柱は、次々に崩落し水柱と爆音を上げ続けた。
僕は心の川に突然襲い掛かったカタストロフィを息を呑んで眺めていた。

川岸の白い柱が全て倒れ尽くすと、少しづつ揺れは収まっていった。
いつしか心の川は豊かな光に包まれていた。赤かった川の水も澄んだ透明な水に変り、水の温度も温かで緩やかな流れになっていた。何かが終わったのだろう。
僕は暗闇が支配していた川の上流を仰ぎ見た。

海だ。広大な海が広がっている。心の海は限りなく広く、そして美しかった。
僕は過去を許し、過去を受け入れる事で、過去を捨て去る事が出来たのかもしれない。

心の海には、銀色をした生き物が泳ぎ回っている。
眩しいほどの光を浴びて、キラキラと身体を輝かせている。
僕は、その美しい姿に安らぎを覚えながら、ゆっくりと目を開いていった。


目を開けると横にアキコの姿が見えた。アキコは僕を見つめている。
僕は、ゆっくりと右手を動かし、その指をアキコの髪に触れさせた。
指は、じわじわとアキコの頬に移動した。それから指はアキコの目に触れ、アキコの鼻に触れ、ゆっくりゆっくり下に移動していった。
僕はアキコの濡れた唇に触れた。
アキコは僕の指を優しく含んだ。
ほどなく僕はアキコの唇から、指を引き抜いていった。指に付着したアキコの唾液が、指と唇との間に細い糸状の橋を渡した。

「君は僕の中に潜んでいた」僕は言った。
アキコは舌で上唇をトロリと舐めた後こう言った。
「そう。あなたもまた私の中に含まれていた」

「僕は君を愛する為だけに産まれてきた。他には何も必要なかった。
必要なのは、それだけだった。
そして愛だけが人を支配出来る。どんな力も人を支配する事は出来ない。
愛だけが、それを可能にする。それが答えだ」


パチン! 壁にもたれた埼玉ネコは指を鳴らし、こう告げた。
「この夢は終わりだ」

僕とアキコは、埼玉ネコと出会った駐車場に立っていた。クリスマスの夜だ。
イルミネーションの瞬きが目に飛び込んできた。
駐車場の柵にもたれて僕とアキコは並んで眠いっている。夢の中の僕とアキコは、それをぼんやりと眺めていた。
暗闇から埼玉ネコが現れて、僕らの方に近づいてきた。
「お別れだな」

僕は埼玉ネコに手を差し出し、こう言った。
「叱ってくれて、ありがとう」
「フム、標準サービスだ」埼玉ネコはニヤリと笑って僕の手を握り締めた。

次ぎに埼玉ネコは、アキコの前に立った。
「君は、強くて賢い子だ。こんな男には勿体無い」埼玉ネコは笑いながら手を差し出した。
「今なら、お安くしておきますよ」アキコは、そう言って埼玉ネコの手を握り締めた。

「じゃ行くよ」そう言いながらも埼玉ネコは身体の動きを止めた。
夜空を見上げて「なんだか名残惜しくなった。少しだけな」と言った。

「僕らも同じ事を考えていますよ。ほんの少しだけ」僕は言った。
「フム」埼玉ネコは鼻にかかった声を残して駐車場の闇に姿を消した。

埼玉ネコが姿を消すと僕は次第に意識が薄れていくのを感じ始めた。夢から覚めようとしているのだ。
僕はアキコを抱きしめた。
抱かれたアキコは下を向いて暗い表情をしている。「どうした?」僕は聞く。
アキコは首を横に振りながら、こう答える。
「予感が外れる事を願っているの」
「予感って?」僕は、その答えを聞く前に意識が朦朧としてきた。

消え行く意識の中に、アキコの言葉だけが滑り込む。「私は忘れない」


posted by sand at 17:37| Comment(0) | 連作小説・アキコ物(2000 Miles) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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