2005年12月26日

Shooting Star(便茶会)前編

The Definitive Collection.jpg
Lou Reed / The Definitive Collection

袴田係長の声は、扉の奥から聞こえてきた。
いつもの甲高い声だ。
そこは袴田係長の自宅で、僕は招かれてここに来ていた。
僕は玄関で靴を脱ぐと声の方向へ廊下を進んだ。
袴田係長の自宅は豪邸だった。豪華な造りの玄関に磨きこまれた廊下。

僕は声のする扉の中を覗きこんだ。
そこはトイレだった。
1畳ほどの室内の真ん中には当然のように便器が置かれていた。
残る半畳のスペースに小さな座布団をひいて袴田係長は正座していた。
便座の上には茶道具が置かれている。

「ようこそ便茶会へ」袴田係長は甲高い声でそう告げた。

袴田係長は、社内での地位は無に等しかった。
係長の机は課内でもずっと奥の窓際。近寄る人もない場所にあった。
袴田係長がどういう仕事をしているのか、正直僕にも分からなかった。
ようするに最もリストラ対象に近い位置に袴田係長がいるのは間違いなかった。

袴田係長は日頃から上役・同僚・部下からも完全に無視された存在だった。
アルバイトの女の子からでさえ冷遇された扱いを受けていた。
課内はおろか廊下でさえ、袴田係長に挨拶をする人間はいなかった。

袴田係長の身なりは、それほど変わっているとは思えなかった。
長身でガッシリした体格。背広もシャツも清潔だった。
ただ、おばさんパーマのようなカールしたクセ毛。厚レンズの眼鏡。それに奇妙に甲高い声だけが異質と言えば異質だった。

さらに袴田係長の仕事ぶりが低能力だとは、とても思えなかった。むしろ驚くほどの冴えを随所に見せた。ただしその機会を与えられる事は稀だと言うことだ。誰も袴田係長に重要な仕事を与えなかったからだ。

袴田係長が人と変わっている点は、ただ一つ。誰にも近づこうとしない点だった。上役・同僚・部下。その誰とも親しく交わる事がなかった。退社時間になればサッサと一人で帰っていったし、忘新年会・歓迎会・懇親会等、全ての会合に出席する事はなかった。それどころか同僚の身内に不幸やお祝い事があっても一切無関心を貫いていた。
袴田係長が、あるべき社会人の姿とは程遠い人間だと言う事は間違いなかったのだが、本来職場が仕事を遂行する場所だと限定するのならば袴田係長の徹底した合理主義はあながち間違ってはいないのではないかと思えたりもした。

上役の袴田係長への評価は手厳しいものだった。
「あんな組織を乱す男は、社会人として何の価値もない!」彼らは口々に捲し立てた。
ただ、それを袴田係長に面と向かって指摘叱咤する上役も数少なかった。
袴田係長には不思議なほどの落ち着きがあった。まるで何もかもお見通しだと言わんばかりの態度を取った。誰もが袴田係長の前に立つと気後れしてしまう。そんなオーラを袴田係長は放っていた。
それに、どの上役よりも袴田係長は有能だと思わせる場面も数多く見受けられたのだ。

そんな袴田係長も社会レベルから見れば、完全な敗北者だった。出世には見放されていたし、社内でも居場所がなかった。低所得者で今にもリストラされそうな立場でもあった。それに中年に差し掛かっても家庭を持っているようではなかった。
社会の誰もが袴田係長に敬意を払うことはなかった。袴田係長は社会から見捨てられた存在だったのだ。

袴田係長は、近くの公園で決まって昼食を取った。コンビニで、オニギリとお茶を買い込みベンチに座ってそれを食べていた。雨の日も雪の日も猛暑の日も、それは変わらなかった。
タオルで汗を拭いながら、傘に雨を受けながら、寒風に身を震わしながら、毎日同じベンチに座って食事を取った。

その日は朝から曇り空で、今にも雪が降り出しそうな寒気の中にあった。
得意先周りから帰社中にベンチで昼食を食べている袴田係長を見かけた。
僕もまた無口で仲間から浮いた存在だったので袴田係長には興味があった。一体どんな事を考えているんだろう?でも、それを袴田係長に直接聞く機会はなかった。

僕はコンビニで肉まんを2個買って袴田係長が座っているベンチに並んで腰を下ろした。
肉まんを差出と袴田係長は、お礼を言ってそれを頬張った。
「どうして、いつもここで昼食を?」僕は袴田係長に聞いた。

「ん。流星が現れるのを待っているんだよ」袴田係長はそう答えた。
「え!今日は曇ってますよ」

袴田係長は笑いながら答えた。
「それは間違いだよ。それを待っているのなら、一時も目を離してはいけないんだ。昼だろうと夜だろうと晴れだろうと雨だろうと、まったく関係がないんだよ。
流星は一瞬のうちに流れ去ってしまう。ちょっとでも目を離せば、それを逃してしまうんだ」

僕には、その言葉は理解出来なかった。でも袴田係長が醸し出す雰囲気は心地よかった。
それが袴田係長にも伝わったのかもしれない。
肉まんを食べ終わると袴田係長は意外な事に、僕を自宅に招待してくれたのだ。

「うちの便茶会に来てみないかい?キタヤマダ君」袴田係長はニッコリ微笑んだ。
posted by sand at 22:51| Comment(0) | 超短編小説A | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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