2006年01月17日

アップル・ヴィーナス

Apple Venus Vol.1.jpgApple Venus Vol.12.jpg
XTC / Apple Venus Vol.1

その頃、私と妻は今よりずっと若く、娘達はずっと幼かった。そして我々は今よりずっとずっと貧しかった。
その日は遊園地に向かっていた。寒い冬の事だった。細かい霧雨まで降り続き、外は凍るほど冷たかった。
どうして、そんな日に遊園地なんかに行こうと思ったのだろう?
休みの都合もあっただろう。娘達の希望もあっただろう。でも主たる理由は、入園料の安い市営遊園地にしか連れて行く場所が見つからなかった事にありそうだ。
なにしろ当時の我家の通帳残高は、その日の気温に限りなく近かった。

そこは遊園地とはいえ、デパートのゲームコーナーに毛の生えた程度の僅かばかりのアトラクションしかなかった。でも幼い子供達にはちょうど良いスケールだったし、アトラクションの料金も安かった。土日でも混み合う事はなかったし、やたら広い芝生が各所に点在しているのも良かった。天気の良い日なんかに、芝生に寝転んでビールを飲んでると幸せな気分に浸れた。
小さな観覧車に乗り、少し高い場所から閑散とした園内を見渡すのも好きだった。
池の周りを走る短いゴーカートがあった。自分で走った方が速いくらいの速度で、のんびり池を一周するのも気分が良かった。
池には白鳥の形をしたボートがポツンポツンと浮かんでいて、模型の白鳥は「どうして俺は、ここにいるのだろう?」そんな言葉が聞こえそうな、虚ろな視線を投げていた。

しかし、その日は平日で、おまけに寒い雨の日だった。
駐車場に停まっている車は一台もなかった。入園ゲートから見える園内は死に伏したように静まりかえっていた。私と妻は不安になったが、娘達はかまわず園内に走って行ってしまった。
私は急いで入園料を払った。入園ゲートには60歳くらいの小太りの女性が一人座っていた。料金を払うと彼女は黙ってお辞儀した。

予想通り、園内には我々以外に誰の姿も見えなかった。客の姿どころか乗り物を動かす係員の姿もなかった。私は妻と肩を寄せ合って心細い気持ちなっていた。

我々がさした四つの傘に、少し遅れるように一つの傘が寄り添うように付いて来ていた。
私は時々その傘の方向に振り返った。傘の主は、先程の入園ゲートの女性だった。
彼女は、我々との距離を一定に保ちながら、我々の動向を監視しているようだった。
娘達が回転木馬に乗りたいと言い出した。私は係員の姿を探した。

一つの傘がスススと我々の前を横切って、回転木馬を操縦する小部屋に駆け込んだ。
入園ゲートの女性だった。
彼女は操作レバーを握って、我々が来るのを待っていた。
娘と妻は入園ゲートの女性に乗り物券を渡して、回転木馬に乗り込んだ。
私は、手にさした傘の中で妻と娘たちが廻る姿を眺めていた。
妻と娘達は楽しそうに笑った。やっぱり来て良かった。私は少しホッとした。

それから入園ゲートの女性は、我々の背後に影の様に寄り添って、行く先々で我々が望むアトラクションを操縦した。女性は、我々と常に一定の距離を保ち、決して話しかけるような事はなかった。

お昼過ぎになると、粗末な屋根のついたベンチに座って、我々は妻の作った弁当を広げた。
弁当を食べている間、入園ゲートの女性はベンチの端に座って、我々とは別な方向を眺めながら缶コーヒーをヒッソリと飲んでいた。
私は彼女が気の毒に思えてきた。ただ彼女に食べて貰うには、我家の弁当は貧弱過ぎた。

食事の後、遊園地の端にある池の辺まで我々は来ていた。
妻と娘達は虚ろな目をした白鳥のボートに乗った。霧雨の中をボートは、ゆっくりゆっくり進んで行った。
私は船着場に立って、白鳥型のボートを目で追っていた。入園ゲートの女性は船着場の少し離れた場所に立っていた。

白鳥の中に妻と娘達の姿が見えた。妻は若く綺麗だった。娘達は天使のように可愛かった。
私は彼女達が幸せになれるのなら、この身体なんて消えて無くなったって良いと思った。この身体を磨り潰す事で、彼女達を幸せに出来るのなら、私の人生になんらかの価値を見出せそうな気がした。
「良い景色だね」不意に誰かの声が聞こえた。私は驚いて声の方を向いた。
入園ゲートの女性が、私のすぐ横に立っていた。
「はい。綺麗な池ですね」私は返事をした。

「この歳になるとね。もう、先が短い事が分かるんだよ。そうだね。元気なのは後10年かそこらだろう。そうなっちまうと、なんだが惜しくなるんだね。生きてる時間がね。
それでね。汚い物や人は見たく無くなるんだよ。興味がないんだ。綺麗な人だけを見て、綺麗な景色だけを見ていたいんだよ。
だって散々暗い場面や汚い人間ばかり見てきたんだからね。もう良いだろう?
今日は良い物を見せて貰ったよ。大切にしなよ」
それだけ言うと彼女は私の返事を待たずに船着場の少し離れた場所に戻った。
私は白鳥の姿を追い続けた。
その時の私には、白鳥が今にも飛び立ちそうな予感がしていた。


帰りの車中で、妻に入園ゲートの女性の言葉を伝えた。娘達は後ろのシートで眠っていた。
話しを聞いた妻は、黙って窓の外を眺めていた。やがて道路沿いで営業している八百屋の前で車を停めてくれと私に頼んだ。

八百屋から戻ってきた妻の手の中には、青い林檎が握られていた。
妻は、何も言わず青林檎を車のダッシュボードの上に置いた。
それから自宅に戻るまで、私と妻は黙って青い林檎を眺め続けた。
林檎はダッシュボードの上でユラユラと揺れた。
我々は、ある共通の気持ちを込めて、その林檎を見つめていた。
それは「祈り」とも呼べる強い力を秘めていた。


さあ今日は何位でしょう?「んな事知るか!」とか思っている、そこの貴方!貴方は正しい。でも押して。人気blogランキング
posted by sand at 04:12| Comment(4) | 超短編小説@ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
うちもなんだか冴えない日に遊園地に行くこと多いですよ。小田原行ったときなんか、むちゃくちゃ寒くて寂しかったな〜。ま、貧乏な自営業者の宿命ですね。ちなみに東京・中野丸井本店の屋上遊園地は、現在でも1人のおじさんが「券売係兼遊具係兼売店係」です。

この話、すごく好きです。寒くて侘しくて銀河鉄道のような祈りに満ちています。たまには真面目なことも言ってみる。

それにしても私には「60歳ぐらいのさえない小太りのおばさん」が薄茶色のメガネをかけてしかめっ面をしているような気がしてなりませんでした。ふて腐れたおっさん愛好会会員。

現在21位ですね。
Posted by ショコポチ at 2006年01月18日 11:06
まいどです。読んで頂いてありがとう!
後半描写が粗くなってるのは、嫁ハンが台所から「早く飯食ってくれよ〜!」と怒鳴っていたからです

>ま、貧乏な自営業者の宿命ですね。

俺っチは、宿命はヤダ(^O^)

>1人のおじさんが「券売係兼遊具係兼売店係」です。

ジャンルの壁を越えていると。

>たまには真面目なことも言ってみる。

真面目なレスを忘れた(^O^)好意的な感想ありがとうございます!

>薄茶色のメガネをかけてしかめっ面をしているような気がしてなりませんでした。

薄茶と言うのが妙にリアル。確かに、そんな気がしてきました。25歳まで中学生料金カリスマ主婦兼事業主愛好会会員。

>21位

どうもありがとうございます。思ったより上がって意外でした。皆様のご協力の賜物でございます。
次のイベントは超有名ブログ「眞鍋かをりのココだけの話」にトラックバックをする計画です。
って今見に行ったらトラックバック数が2000もありましたよ。凄いな〜。こりゃあんまりドキドキしないな。
Posted by sand at 2006年01月18日 18:00
はじめまして。
ランキングから来ました。
ひなびた公園、僕もよく行ったことを思い出しました。なんか、切ない気持ちになりました。
今後ともよろしくお願いいたします。
Posted by 星霜 at 2007年02月04日 23:22
こんちは。読んで頂きまして、ありがとさんです。

そちらにも伺いましょう。
Posted by sand at 2007年02月05日 15:32
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