2006年05月03日

先生の鼓動@

Mighty Rearranger.jpg
Robert Plant / Mighty Rearranger

 先生は大きく深呼吸し、両手を鳥の翼のように広げた。大地がクルクルと円を描くように回転し、先生はソレの中心に向かって手を差し出した。


 その頃の私は、先生の下で働いて4〜5年になろうかと言う所だった。
先生は、わりと名の知れた陶芸家で数多くの賞に輝いていた。まだ若い時期に新鋭として頭角を現し斬新で革新的な作風は高く評価されていた。またその作品は、かなりの高額で取引されているようだった。
 しかしながら先生は、寡作としても名高かった。
先生がロクロの前に向かうのは、年に一度、ひどい時は2年に一度ほどしかない状態だった。さらに驚くべき事は、その数少ない機会に形作られる陶芸品は、どれも超一流の作品であり、誰の目にも新鮮な感動を与える傑作と呼べる作品であった事だ。

 先生が天才なのは疑いのない事であった。だが先生はその事を随分冷めた視線で眺めているように思えた。そんな自分を冷笑するように地味で慎ましい生活をおくるのだった。

 先生の日常は穏やかで飾り気とは無縁のものだった。

 先生は私より随分早く目覚め、決まって縁側で猫を抱いていた。
縁側に面した狭く慎ましい庭を先生は愛した。四季の移り変わりは、小さな庭園にささやかな色味を沿えた。それは海岸に流れ着いた瓶詰めのメッセージのように不意の独白を感じさせるものだった。

 食事の用意が私の主な仕事だった。ただ先生の好みは粗食にあり、比較的楽にその仕事をこなす事が出来た。

 朝は、麦ご飯とお味噌汁。それにタクワンが添えられるだけだった。
私と先生は庭を臨む座敷で、黙ってそれを食べるのが習慣だった。
コリコリとタクワンを噛む音だけが庭の緑に向かって発せられた。
 私は今になっても、その音を聞き先生を想う。
それは全く退屈な朝食だった。ただ、この騒がしい世の中に身を置く、今。
今となっては、そこにあった空気そのものが、凛とした清々しさに溢れた得がたいものだったのだ。
 だが、その大切さに気が付くのは、いつでも、それが終わった後の事だ。
もう、そこに戻れないと気がついてからの事だ。

 朝食が済むと先生はゴロンと横になって新聞を読んだ。そのまま眠ってしまう事もあった。
私は先生が新聞をめくる音や、寝息をかく音を聞きながら掃除や洗濯をした。
 私の仕事ぶりは勤勉であったと思う。先生は、概ねそれに満足していたようだ。もちろん先生は労いなど口に出す人ではなかった。
先生は、いつでも風を受けて撓る青竹のように、ずっとずっと大きな力を感じ取っているようだった。
 私はその超然とした佇まいを、表現者として憧憬し、人間として寂しく思っていた。


☆続きは午後から書けたら良いのですけど。

朝は良いね。朝の仕事で良かった・人気blogランキング


posted by sand at 20:04| Comment(0) | 超短編小説C | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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