2011年05月07日

若葉のころ/眠る鳩

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若葉のころ ビージーズ作品集

 車を走らせて叔父の家に向かっていた。5月のゴールデンウィークも終わり、町には静けさが戻っていた。
叔父の家を訪れるのは十数年ぶりだった。訪問の目的は少しばかりのお届け物とある人の消息を尋ねるためだった。
 その人は真理子という名で、私は独身時代の数ヶ月を彼女と同じ職場で働いていた。

 今から十数年前、私はそれまで働いていた仕事を辞め、家業を継ぐことになった。実家に戻る前の数ヶ月間、私は叔父の家に寝泊りして仕事の見習いをした。同じように自営だった叔父に営業を教わるためだった。

 真理子さんはそこで事務の手伝いをしていた。真理子さんも体調を壊して、それまで働いていた職場を辞めたばかりだと叔母から聞いた。彼女の母と叔母が知り合いだったようで、週に何日か事務の手伝いを頼んだと聞かされた。

 彼女は綺麗な顔立ちをしていたが、病気明けのためか、ひどく痩せていて、頬がこけ、顔色も悪かった。それでもその清楚で凛とした佇まいに心引かれた。と言っても当時の私はチャラチャラした軽薄な男で別に付き合っている女の子もいた。何度か真理子さんを食事に誘ったがアッサリ断られた。諦めかけた三度目に公園に誘うと意外に簡単にOKが出た。ボートに乗りたいと言うので晴れの日曜日に彼女を誘い出した。

 その日はとても暖かな五月晴れで、私はデート中に関わらず幾度も居眠りをしていた。その公園には比較的大きな池があり、白鳥の形をしたボートやペタルを漕いで進むボートが何艘も池に浮かんでいた。私たちは普通のオールを使うボートに乗った。池は四方を森林に囲まれ、滴るような緑が周囲はもちろん、水面にも映し出されて、深い深い森の奥に浮かんでいるように感じられた。彼女は白いワンピースにつばの広い帽子を被り、典型的なお嬢様スタイルだった。私は古い映画のワンシーンのようだと思った。彼女は片手を水に浸し気持ち良さそうに微笑んでいた。

 その時の私はとても眠くて、睡魔と闘いながら彼女の仕草を目で追っていた。私はウトウトしながら何度か鳩の鳴き声を聞いた。「鳩がいるのかな?」私は辺りを見回して彼女に尋ねた。真理子さんは私に視線を合わせて「いいえ。鳩は寝ています」と言った。

 そんな風にして彼女の眠る鳩の話は始まった。彼女はお婆ちゃん子で二人で鳩の世話をしていた。彼女と祖母はとても穏やかで楽しい日々を過ごしていた。月日が流れ、彼女の祖母は病魔に侵され、やがて帰らぬ人となってしまう。彼女は大変、嘆き悲しんだが、不思議なことに祖母が死んだその日から飼っていた鳩が見当たらなくなっていた。なおさら彼女の悲しみは増して半狂乱になってしまったと言う。しばらくして意外な場所でその鳩を彼女は見つける。それから彼女の気持ちも次第に治まっていったと言う。

「鳩は私の中に眠っていたの。そんな気がするって事じゃないわよ。私の胸の奥から鳩の寝息や羽が擦れる音が聞こえてきたの。そのうち鳩の鼓動も身体の温もりも伝わってきた。きっと御婆さまは私に鳩を託したのよ。そして、その事が、私は生き続けなければならないと気付かせてくれた。多分、その時になって初めて御婆さまの死を受け入れることが出来たんだと思う。私は生きる。そしてその鳩を決して目覚めさせてはいけない」

 日差しは眩しく私は宙に浮かんでいるような錯覚に陥った。彼女の身体は時々透き通って向こう岸の緑に溶け込んでいるように見えた。でも、それは錯覚で、私はとても眠かった。

「私はそれからとても静かに生活することにしたわ。大きな音や激しい揺れを極力避けて生活した。私の鳩が目覚めないように。
 それから私は考えたわ。これは素晴らしいことなんだって。考えてみて。世界中の人の胸に鳩が眠っていたら。この世界のすべての人に無垢な鳩の寝息が聞こえたとしたら、きっと世界は変わると思うの……」

 真理子さんの話で覚えているのは、それが全部だ。私はひどく眠くなって、それ以後の記憶が曖昧になっていた。その日彼女と、どうやって別れ、どうやって自分の部屋に辿り着いたのかも覚えていない。ただ私はその夜から、高熱を出して数日寝込んだことだけは覚えている。

 ほどなく私は実家に戻り家業を継いだ。あの日の後、何度か真理子さんと顔を合わせたと思うが、その時、どんな会話をしたのかまでは覚えていない。不思議なくらい、その辺りの記憶が曖昧になっていた。

 私は叔父や叔母に会って、真理子さんと連絡を取りたかった。もちろん今の私は結婚して子供もいた。彼女に会って私に今起こりつつある事を相談したかったのだ。

 叔父の家は数十年前と少しも変わっていなかった。叔父と叔母は少し歳を取ったが、まだまだ健在だった。私は軽く近況を話し合った後に、真理子さんの話を切り出した。
「一緒に働いてた。マリちゃんって今どこにいるのかな?」
叔父と叔母は不審な顔をして「マリちゃんって誰?」と聞き返してきた。
「何、言ってるんですか、事務の手伝いをしてたじゃないですか。真理子さんですよ。病気の療養中で」私の問いに叔父と叔母は首を振るばかりだった。叔母は堪り兼ねたように「お前が家で働いてるときに事務の手伝いをしてたのは、お前も知ってる従兄弟の明美だったじゃない」と言った。叔父もそうそうと頷いた。

 確かに明美なら子供の頃から良く知っている。昔から体格が良くて明るくサバサバした性格でガハハと豪快に笑う。そんな訳がない。確かにその事務机に髪を束ねた真理子さんが座っていた。青白い顔をして弱々しく微笑んだ。「ちょっと、その時撮った写真持ってくるよ」叔母は母屋へ駆け出して行った。
 当時、明美は仕事を辞めてブラブラしていたので、叔母さんが強引に事務の手伝いをさせたと叔父は説明した。お前と始終ケンカしていて賑やかだったよ。と付け加えた。

 叔母は写真を手にして戻ってきた。写真には20代の私が写っていた。叔父と叔母、それに真ん中で大きな口を開けて笑っているのは確かに明美だ。この家には、小・中学校の時に何度か来ただけで、それから、ここで働いていた時まで一度も来ていない。それ以後も今日まで来ることはなかった。でも間違いなく私は真理子さんとここで会話した。叔父たちと四人で食事もした。私は記憶の足跡を追った。それでも決まって同じ場所に辿り着くだけだった。

 混乱した頭で叔父と叔母に別れを告げ、車をあの日に真理子さんと行った公園まで走らせた。深い緑に囲まれた池のほとりまで来て、私は彼女の気配を感じた。彼女はここに身を潜めているのだ。誰かに近づくと、その人の記憶にソッと忍び込む。そして彼女の鳩を産み付けるのだ。

 不意に爆音とともに花火が打ち上げられた。この公園のグランドでイベントが始まったのだ。ロックバンドが爆音を撒き散らし、大勢の人の歓声が響き渡った。私はその場にうずくまって両耳を塞いで震えていた。私は自分の胸を大切に大切に守った。
 
 私の鳩が目覚めないように。



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posted by sand at 12:58| Comment(2) | 超短編小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんばんは。
今日パートの仕事行く前に自転車置場でsandさんのこと思い出していました。
母の日セールになると思い出します。

最近続けて書いてますね。これは続編も出そうな気がしました。
じわじわ育てて、書いてください。
Posted by ring-rie at 2011年05月08日 22:19
コメ欄が寂しくなったブログへようこそ。

>自転車置場でsandさんのこと思い出していました

ボクは支離滅裂な人を見るとring-rieさんを思い出すよ。

>母の日セールになると思い出します

父の日のセールになると餃子食います。

ミクシの写真見たよ。ぜったいあれは違う人の写真やろ。あんな美人のはずがない。あんな美人が今まで、あんなトンチンカンなこと書いたりしないもん。誰の写真だよ? 正体は大屋政子に似てるはず。

Posted by sand at 2011年05月09日 15:15
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