2005年08月26日

<つけあみ>の時刻

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<つけあみ>の周りは、いつもヒッソリしている。

それが、置かれた冷蔵庫の棚は、他の棚に比べて、明かに静かな佇まいを見せる。
それが<つけあみ>にとって幸福なのか不幸なのかは、つかみかけの、おでんの卵のように、スルリと手の内を、すり抜けて行く。

<つけあみ>の時刻とは、どの時刻なのだろう?
我々は、その疑念に頭を悩ませる。

朝の<つけあみ>には、キビキビとした躍動感があり、ビシリとしたキレがある。
しかし、それは、あまりにも辛い。朝の空気には、辛過ぎる。
歯磨きした後に食べるのには、辛過ぎるのだ。

昼の<つけあみ>には、ぼんやりした寂しさがある。
世界や時間から置いて行かれたような、心もとない寂しさがある。
「笑っていいとも」を観ながら食べる<つけあみ>は、テレビと座っているテーブルとの距離を、ずっと、ずっと遠ざける、閉塞感がある。

夜の<つけあみ>には、情念がある。
我々は、酒を飲みながら、その情念に触れる。
それは燃えるような激しさと、ズルズルと引きずる重みがある。
焦げるような熱さを感じながら、酒を進める。
しかしながら、その行為は、あまりにもヘビーだ。我々は<つけあみ>と共に、深い深い奈落の淵を、さ迷う事になるからだ。

<つけあみ>の時刻は、いつまで経っても訪れない。
我々は冷蔵庫の扉を開け、<つけあみ>の存在を確認し、それに手を伸ばそうとして、フッと手を止める。
それが<つけあみ>の時刻なのか、確信が持てないのだ。

かくして<つけあみ>は、静けさに包まれたまま、その生涯を終える。
それでも、我々は、<つけあみ>の時刻を待っている。
その静けさを、愛している。


posted by sand at 19:30| コラム・食い物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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