2005年03月06日

ハムを売る人

zappa.jpg ハム.jpg

ハム売りを最初に見たのは、去年の冬だった。
駅から続く商店街の端に、ハム売りの屋台はひっそり開店した。
人通りの少ない通りでは無かったが、商店街からは、ちょっと離れていて、辺鄙な感じは否めなかった。

しかし、その屋台は、美しかった。
ネオンも、まばらな闇の中、明々と灯るスポットに照らされた売台に、色取り取り、さまざまな種類のハムが並んでいた。
恐らく30種以上はあるだろう。ハムの形も様々だが、美しい印刷がなされたラベルには、豊かな国際色が溢れていた。帰宅途中のサラリーマンは、みんな、魔法にでもかかったように、立ち止まって、その屋台に見とれていた。

何もかもが宝石のように美しかった。整然と列をなして並ぶハムの潤い。清潔で気高く。柔軟で優雅。
全てが完璧な美をもって咲き誇っているようだった。

そのハムの園の中に、ハム売りは座っていた。
下を向いて、何かを、ずっと考えているような哲学的な表情だった。
小柄で痩せ型。小さい骨ばった顔に、フランク・ザッパのような鉤鼻が強く印象に残る。薄い眉に小さいが鋭い目。
鼻の下には、薄く鼻髭を蓄えている。唇は、薄く、小さい。

その日は、そのまま帰宅した。なにか小さな興奮の中にいたのを憶えている。

ハムを買ったのは、残業で帰りの遅くなった日だった。
私は、屋台の前に立って、長い時間、ハムに見とれていた。
ハム売りは、全く言葉を発せず(実際、彼は、無口な男だった)、私の選択を、注意深く眺めているだけだった。

私は、ハム売りに声をかけてみた。
「迷うよね。」
ハム売りは、表情を崩さずに言った。
「ハムは生きています。あなたの鼓動と一致するハムを選ばれる事です。」

私は、ハム売りに興味を持った。彼の真剣さに打たれた。

私は、一番、相性の良さそうに感じられたハムを選んで買い求めた。
ハム売りは、一度も笑わなかった。しかし、不快な気分には、ならなかった。むしろ、彼の直向さに心が踊った。

帰宅して、家族の寝静まったシンとした台所でハムをスライスし、ウイスキー(角瓶)を飲んだ。

そのハムは、ジンワリと滑らかで、独特のコクがあった。芳醇な脂質とハリのある肉質。
私はソファに深深と腰を落し、水割りを片手に、そのハムを味わった。

静寂の中でハムを食べていると、次第に、心の揺れを感じていた。
それは、多分、淫らと呼べそうな物だった。
posted by sand at 05:05| 超短編小説・Rotters' Club | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。