2007年01月20日

Carolina in My Mind

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James Taylor / James Taylor

 先輩が僕に電話をかけてきた場所は空港だった。
「俺、カロライナに行くから」
「旅行じゃ……ないんですよね」先輩は長い間カロライナで生活する夢を抱いていた。
「そう。帰らないつもりだよ」
「どうするの? 奥さんと子供?」
「どうもしない。どうも出来ないから、どうもしない」先輩は、そんな人だ。出来ないことは、やらない人だった。

「おまえから話してくれよ。頼むよ」先輩は、最後まで我がままを言った。先輩は、そんな人だ。
「先輩……お元気で。戻って来ても虐めたりしないから」
「ありがとう。でも戻らないよ。俺、中途半端なまま終われないから」

 僕は玲子さんに、その電話の内容を話した。玲子さんは先輩の奥さんだ。
玲子さんは話を聞くと肩をすくめて、目を丸くした。それだけだった。玲子さんは先輩の何倍も金を稼いだ。子育ても家事もそつなくこなした。美人で賢くて……まぁ、そんな感じだ。
 僕は先輩からのメッセージを伝え終わると、玲子さんと寝た。僕らは、ずっと前からそんな関係だった。先輩は僕らの仲に気がついていたかもしれない。だからと言って何も起きなかった。先輩は夢だけを追っていた。

 先輩と玲子さんには一人娘がいた。アミって名前で小六だった。幸いな事に先輩には似ず、頭と勘の良い子だった。
 その日、僕は夕食に招待された。いつもは先輩が一緒だったけど、もちろん、その日はいない。僕は二人の女性に囲まれて夕食を口にした。アミちゃんは僕と母親の関係に多分気が付いている。でも、それを気にかける素振りは見せなかった。大人なのだ。先輩や僕よりもずっと……。

 食事が終わるとアミちゃんは、すぐに自室に引っ込んだ。僕と玲子さんはキッチンのテーブルに座ってダラダラとビールを飲んでいた。
「カロライナって、どのあたりだったけ?」玲子さんは遠くを見るように聞いてきた。
「さ〜。東側でしたっけ? 北と南がありましたよね……ネットで調べましょうか?」
「ううん。アミから地図帳を借りるわ。やっぱり地図帳よ。何はなくともね」玲子さんは腰を上げてアミちゃんの部屋に地図帳を借りに行った。だけど戻って来た時は手ぶらだった。

「なかった?」
「ううん。今使ってるから後で持ってくるって?」玲子さんは、そのまま食器を片付け始めた。
 僕はリビングのソファに座ってテレビを見ながらビールの続きを飲んだ。しばらくテレビに見とれて、ぼんやりしていた。ふと気が付いて振り返ると後ろにユミちゃんが立っていた。「あの人が、あんたに渡せって」彼女は地図帳を差し出した。玲子さんはキッチンで洗い物を続けている。僕は地図帳を受け取って「ありがとう」と彼女に言った。

 それから意外な事に彼女は僕の向かい側のソファに腰を下ろした。僕は少し緊張しながら地図帳を広げてアメリカが載ってるページを探した。久しぶりの地図帳で、なかなかアメリカが出てこない。
「ダメね。貸して」アミちゃんはイライラした口ぶりで僕から地図帳を取り上げた。「ココとココ」彼女はサウスカロライナとノースカロライナの位置を指差した。「ああ。ここか。ありがとう」僕は地図帳を覗き込んだ。先輩はどの辺りを歩いているんだろう? ユミちゃんも僕と一緒に地図帳を覗き込んでいる。僕と彼女は顔を寄せ合っている状態だった。それからユミちゃんは僕の耳元に、小さな声で話しかけた。
「あの人。ああ見えて弱いんだよ」あの人とは玲子さんの事だ。「うん。わかった」僕も小声で返事をした。ユミちゃんは顔を上げると少し不安そうな顔をした。僕は笑顔で彼女にささやいた『大丈夫。大丈夫』。
 彼女は、ほんの一瞬だけ微笑んだ。それから、すぐに怒ったような顔に戻って僕から地図帳を取り上げた。地図帳を胸に抱きかかえると、ツンと澄ました顔をして自室に戻って行った。

 しばらくして玲子さんがキッチンからリビングにやってきた。
「地図帳は?」
「ああ。持って帰ったよ」
「ふ〜ん。あなた見せてもらったの?」
「うん。いろいろ見せてもらった」僕は意味深に微笑んでみた。

 玲子さんは首を傾げながら僕の隣に腰を下ろして、飲みかけのビールを口にした。
 僕は玲子さんの髪に顔を押し当てて「僕なら君を守ってやれる」と言ってみた。玲子さんは恐ろしいほど冷たい視線を僕に注いだ後、「悪いけど、酔っ払いにかまう趣味はないの」と強い口調で言った。それから僕が飲んでいた缶ビールを取り上げると、ツンと澄ました顔をしてキッチンに戻って行った。

 僕は、それから先輩の事を想った。この気高い二人の女性に囲まれた先輩の日々の生活を想った。それは同情とも非難とも悔恨とも違う。ただ想っただけだ。


James Taylor - Carolina in My Mind
posted by sand at 16:39| Comment(3) | TrackBack(0) | 超短編小説C | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
 さすが高学年の娘を持つ父って感じです。玲子さんの対応はこうしか考えられないですね。そこで、あなたが・・となってしまうと安いテレビドラマという気がします。確かにここまで気高い女性に囲まれると自分も機会があったら外に出ますね。うちの女性陣は気低いです。
Posted by ITORU at 2007年01月20日 20:41
「パリ、テキサス」のような清々しく叙情的な「ダメ人間の世界」を垣間見ました。いいですねえ。
なんでもできる女はえてしてダメ男が好きですね。まわりを見ていて本当にそう思います。
なんでもできる女といるのは息苦しいでしょうね。女もそうなのかな?なんでもできる男といるのは息苦しいのかな?息苦しいと思われるほうの気持ちは、どうなんだろう?
結局、うちはダメ男とダメ女の夫婦なので、真相は闇に包まれたままなのでした。
ところで「気低い」って表現も、すんごく気に入りました♪
Posted by ショコポチ at 2007年01月21日 00:40
ITORUさん

どうも読んで頂いて、ありがとうございます。コメントも、ありがとう。

この作中の女の子は、ウチの次女がモデルです。クールな女です。時々子供になります。

>うちの女性陣は気低いです。

またまた、良い家族じゃないですか。奥さんも優しそう。

ショコポチさん

どうも読んで頂いて、ありがとうございます。コメントもありがとう。

>「ダメ人間の世界」を垣間見ました。

ダメ人間が書いてますので、ダメ人間しか出てきません。

>なんでもできる女はえてしてダメ男が好きですね。

これはウチのパートさん達がそうです。優しくて働き者で美人揃いですが、旦那さんの財政が破綻してる所まで揃っています。ウチもそうです。

>なんでもできる女といるのは息苦しいでしょうね。

まあね。甘えるには最高です。

>息苦しいと思われるほうの気持ちは、どうなんだろう?

私はデブってて見てるだけで息苦しいとか言われます。ちょっと嬉しい。

>うちはダメ男とダメ女の夫婦なので、真相は闇に包まれたままなのでした。

またまた。日本有数の学歴夫婦でいらっしゃる。バリバリバリューがやってきますよ。

少し仕事落ち着きましたか?休めるときに休んで下さいね。
Posted by sand at 2007年01月21日 18:06
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