2007年07月16日

ノッポのClair(前編)

Gilbert O'Sullivan.jpg
Gilbert O'Sullivan - Best Of

 クレアは、受け取った"壊れた羞恥心"をキャビネットに締まった後、振り返って「あなたが望むのであれば」と言った。
 クレアの背は高かった。190cm。ざっとそんなところだろうか? それに増してクレアの身体はとても痩せていた。立ち上がったクレアは、まるで樹木のようだった。その立ち姿は、しなやかさと強さを同時に感じさせた。

 私は"羞恥心"を扱う代理店で働いていた。この仕事がそれほど好きではない割りに、長く続いている。技術者からの私への信頼は厚かった。それは私に人並み以上に仕事への情熱があったと言うよりも、単に私が人並み以上に我慢強い性格であったと言うことだった。
 クレアは最も有能な技術者だと言われた。彼女の修復は完璧だった。ほとんど全ての"羞恥心"を傷一つ無いほどに修復した。依頼者は、どんな高額の費用を支払っても彼女に修復を依頼した。我々の代理店においても彼女の売上高は常時トップだった。代理店はまるで腫れ物を触るように彼女に接したが、(多くの技術者がそうであるように)彼女の扱い難さもまたトップクラスだったのだ。
 多くの担当者が彼女に泣かされ退社して行った。そして、ついに私の順番が回ってきた。1年前のちょうど今頃の事だった。

 彼女がオフィス兼ファクトリーとして使っていた戸建ての家は、市街地から数十分ほど車を飛ばした郊外の住宅地にあった。周囲を鬱蒼とした樹木に囲まれた平屋の広々とした家屋だった。その窓と言う窓は、厚手の真っ黒なカーテンによって締め切られていた。昼間でも暗い作業場に置かれた大型のデスクには、強力な光を発する卓上ライトが幾代も設置されていた。クレアは闇に浮かび上がる光の渦の中で、ピンセットを繊細に動かした。その集中力は鬼気迫るものがあった。そこには妥協と言うものが存在しない空気が満ちていた。そして彼女は、それ以外でも妥協を許さなかった。

 クレアの要求は、執拗で病的なほどだった。彼女は依頼者の出生から現在に至るまでの経歴を全て調査させた。さらに年収・不動産の有無・配偶者の有無また離婚歴その他の異性関係・子供の有無またその人物像・交友者の経歴と人物像・両親の経歴と人物像・財政的な余裕・周囲の評価・趣味・酒量・食事の嗜好・疾病歴・犯罪歴・ペットの有無またその種類まで、調査の依頼は執拗に続けられた。担当者の調査に、一つでも漏れがあれば、彼女は大声で罵倒し、ファイルを投げつけた。

 私はクレアの罵倒に辛抱強く耐え、彼女の依頼を細かくリストアップし、ケース毎の変動も考慮に付け加えた。依頼者との面談を繰り返し、周囲の調査も徹底した。データベースの項目は増え続け、ファイルは膨大なものになっていった。一件の依頼に対して3ヶ月間を調査に当てた。経費は莫大に増えたが、依頼者がクレアに支払う契約料もまた莫大な金額だった。その経費を差し引いても代理店には充分な利益が残った。そしてクレアにも充分な情報をもたらした。彼女が私を罵倒する数は、日を追って減り続け、半年を過ぎた頃になると彼女はファイルを手にして満足の笑みを浮かべるようになった。
 私はクレアの信頼を得た。そして、その日から我々は少しずつ近づき始めた。

 長く代理店に勤務している者でも、クレアの素性は知れなかった。彼女が何処に住み、何処から来たのかは謎だった。その素晴らしい技術力と高い背丈が彼女を知り得る全ての事柄だった。
 私は何の才能も無い、ただの外交員だった。10年ほど前に妻と離婚してからは一人で暮らしていた。40歳を過ぎた今、"気ままさ"と引き換えにしてきた物が思い起こされた。多くのものを失って来たのだと今更ながら痛感していた。


「あなたが望むのであれば」と決まってクレアは私に言った。

 彼女の担当になって半年が経ち、彼女が私の仕事を認め始めると、彼女は物静かな微笑を私の前で見せるようになった。依頼者の説明と"壊れた羞恥心"の引渡しが終わると、私とクレアは一言二言世間話を交わすようになった。ある時、思い切って「君に時間があるのなら、お茶でも一緒しませんか?」と誘ってみた。彼女は少し考えた後で「あなたが望むのであれば」と私に言って小さく微笑んだ。

 クレアは外出する事は拒み、オフィスの奥の部屋にある小さなキッチンに私を案内した。キッチンにも黒いカーテンが引かれ、室内は薄暗かったが、彼女は小さなテーブルに面したカーテンを10cmほど開いた。キッチンには細長い光の帯が出来た。我々は、その光の帯を挟むように向かい合って座った。
 クレアはキッチンでコーヒーを入れ、私の前に置いた。向かい合って見るクレアは、それまでより随分若々しく見えた。彼女は私よりずっと若いのかもしれない。

「貴方は、パートナーとしてベストですよ。頼りにしています」クレアはコーヒーをすすりながら私に言った。私は素直に嬉しかった。それはクレアの直向な仕事ぶりに敬服していたからでもあった。
「"羞恥心"とは本来直す必要の無いものです。この世界で生きている限り大抵の人の"羞恥心"は壊れています。"羞恥心"を持ったまま生きる事は、とても困難な事だからです。ある時、その"羞恥心"を修復する技術が開発されました。それは、とても高度な技術力を必要としました。また、それに要する機材等も高額な代物でした。一般の人々には何の必要性も無い技術です。ただ、一部の富裕層にだけ"羞恥心"の修復が流行したのです。それらの人が、どうして競って"羞恥心"を修復したのかは、私には分かりません。彼等もしくは彼女達は大金を払って"羞恥心"を修復し続けています。"羞恥心"は直ぐに壊れてしまうからです。それは私には理解できない事なのです。

 私が"羞恥心"を修復する技術を専攻した理由は二つあります。一つはお金のためです。もう一つは、その技術が難易度の高いものだからです。私は、それに挑みたかったのです。ただ、幾つもの"羞恥心"を修復した後でさえ、その必要性が私には理解出来ないのです。それが私に残された課題であったような気がします。それから私は"羞恥心"の修復を依頼した人物を徹底的に調査する事にしました。その依頼者が、どんなに見栄っ張りで、強欲で、卑しい心の持ち主なのかを知りたかったのです。それで何も解明したりはしません。ただ、私がこの仕事を続ける上で、とても重要な事なんです。必要な事なんです。私は仕事上の根拠を明確にしておきたいのです。どんなに卑しい人物の心であっても」彼女は穏やかな口調で私に話してくれた。
 私は、その話に一言だけ付け加えた。「そうか。良く分かるよ。君には確かに必要な事なんだ。それじゃあ、私が何百人もの金持ち連中に会って気が付いた事を参考までに教えよう。それはヤツらが一人残らずクソッタレだって事さ」それで我々は一緒に笑い合った。
 テーブルに引かれた光の線が、私の指先に触れて、私は僅かな温もりを感じていた。


Gilbert O'Sullivan "Clair"
posted by sand at 17:00| 超短編小説C | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。