2005年07月17日

影日和

Two Against Nature.jpg

梅雨明けの晴れ渡った空から強い陽射しが照り付け、その日は絶好の影日和になった。

その日、僕に着いた影は「山下」と名のるベテランの影だった。
あれこれ話しかけてくる無神経な影とは違って、その影は謙虚で落ち着いていた。
山下さんは黙々と影の仕事をこなした。その心配りに僕は和ませられ、心地良い影日和になった。

お昼過ぎに予定の買い物を消化した後、公園のベンチに座ってテイクアイトのサンドイッチを食べた。
山下さんも僕と同じようにサンドイッチを食べている。地面に映る影として。

「歩き回って疲れたでしょ?」僕は山下さんに話しかけた。
「いえ。元気な若者に比べたら楽な物です」山下さんは照れくさそうに返事をした。

「もう長いんですか?影の仕事は」
「ええ。もう10年以上になります」

「<人抜け>して影になるって、かなり難しいみたいですね?」
「そうですね。影として、やって行けるのは、ほんの一握りです。
私は、お蔭様で、この仕事に向いていたようです。女房、子供も喜んでくれています」

「そうですね。あなたは、とても良い仕事をされます。今日一日、あなたに着いてもらえて大変気分が良かったです」
「どうもありがとうございます。その一言が頂けるのが影として何よりの喜びです」

「あなたも影の仕事に興味がおありですか?」山下さんは僕に尋ねた。
「あ、いや〜〜。僕はもう少し、ここで、やりたい事がありまして・・」僕は答え難そうに返事をした。

「いや。いや。気にしていませんよ。
私は影の仕事を大切にしています。<人抜け>して影の世界に入った事も後悔していません。
でもですね。
でも、後悔があるとしたら、私は人でいた間に何も残せなかった事です。
私は人であっても影であっても、どちらでも、大して変わらないんです。
その事が、今の私を酷く傷つけます。
結局、それは私の心も影になってしまったからかもしれません。人であった頃の私の心の影です。」
山下さんの言葉は、照り付ける陽射しの中に、ぼんやりと浮かんで見えた。

僕は、顔を上げて表通り眺めた。忙しく歩き回る人々にピッタリと寄り添う影達が見えた。
人の数だけ影がいる。僕を知っている影もいるのかもしれない。

僕は決心して山下さんに彼女の事を聞いてみた。
のぶえって女性を知りませんか?魚方のぶえです。僕と同じくらいの年齢です」
山下さんの影は首を左右に振った。

僕は、ある事でのぶえを傷つけてしまう。彼女は、その後<人抜け>して影となり、僕の前から姿を消してしまう。

時間が経って僕は気付いた。
僕はのぶえの心や身体を、それほど必要としていなかった。
僕に必要だったのはのぶえの影だった。彼女の影だけを必要としていた。
posted by sand at 04:46| 超短編小説A | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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