2005年07月19日

蜃気郎がいた夏@

Sister Lovers.jpg

その夏、蜃気郎は不意に浴室の扉を開けて現れた。
彼は、素っ裸でびっしょりと水に濡れていた。
僕はバスタオルを放り投げ、彼に身体を拭くように命じた。

彼は、どこから浴室に入り込んだのだろう?
玄関のドアはロックされ、昨夜から人が侵入した形跡はなかった。

彼は、自分は蜃気郎であると名乗っただけで、どうしてここにいるのかは、わからないと言った。

蜃気郎は、背が高く(多分180cm以上)驚くほど痩せて細い身体をしていた。
長く伸ばしたボサボサの髪の下からのぞく顔は、女性のような丹精で優しい顔をしていた。
高くスッと伸びた鼻が印象に残った。

僕は彼に自分のジーンズとTシャツを貸し与えテレビの前に座らせた。
僕は蜃気郎から、それ以上の事は聞かなかった。何故なら彼は現れた時と同じように不意にいなくなるような気がしたからだ。
実際、蜃気郎はその夏の終わりに僕の前から姿を消してしまう。

それは、まるで盛夏の夕立のように突然の出来事だった。

蜃気郎は、ほとんど言葉を発せず、一日の大部分をテレビの前で過ごした。
彼は青白い不健康な顔で、ぼんやりとテレビの画面を見続け、朝日が昇る頃に眠るようだった。
僕が会社に出かける時刻には、彼は部屋の隅で膝を抱えて寝息を立てていた。
夜遅く会社から戻ると、彼は昨日と同じようにテレビの前に座っていた。

僕は彼の存在を不快には思わなかった。なにしろ僕は彼と同じくらい無口な男だったからだ。
僕には友達と呼べるような人間がいなかった。会社でも、人と言葉を交わす事はなかった。
黙々と調理の仕事をし、短い説明や指示だけしか僕が発する言葉はなかった。
人は変わり者だと僕を揶揄したが、僕にはしたくても会話をする技術がなかった。
毎朝、暗澹たる気持ちで出勤し、それ以上の暗い気持ちになって帰路についた。

蜃気郎のほとんど無に等しい存在は、ほとんど無に等しい僕の人生を映し出しようで、僕はその事に自虐的な安らぎを見出していた。
posted by sand at 02:55| 超短編小説A | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。