2005年07月31日

オレンジのある部屋

Orange Album.jpg

窓から明るい陽射しが差し込んできて、カーテンが少しだけ風で揺れている。
日溜りの中にある、白いテーブルの上には、オレンジが一つだけ置かれている。

それは、私の記憶の中にだけある場所。

ずっと、その記憶と一緒に育って来た。でも、その記憶の場所は、私が育った実家とは違う。
実家は、平凡な一戸建てで、家と家とに挟まれた日当たりの悪い家だった。
例え、その家に白いテーブルを置いたとしても、とても、あの記憶のようには、なりえない。

その記憶は、どこから来たのだろう?
遊びに行った親戚か友達の家?映画やTVの中の光景?漫画や小説で夢見た場所?

結局、その記憶の出所は分からない。でも、私の記憶には確かに存在する。
私は、その記憶の場所に安らぎを感じている。
昔から困った事が起きると、いつでも、その記憶の場所に逃げ込んできた。
そこには私を傷つけたり困らせたり悲しませる者は誰もいない。
ただオレンジだけが、そこにはある。

いつしか私の中では、その場所は<幸せ>を視覚化した場所なんだと思うようになって来た。
その記憶の場所を具現化する事が、すなわち<幸せ>になれる事のように感じた。

私は短大を卒業すると、実家から離れた都市に就職を決めた。
一人娘の私に独り暮しをさせる事に両親は強く反対したが、私は自分の意志を通した。

私は、オレンジのある部屋を探す必要があった。
いくつもの不動産屋を回り、いくつもの物件を見た。実際、良さそうな部屋に何度か住んでみた。
でも、それは決して、あの記憶の部屋とは違っていた。
何かが足りないのだ。
私は失望し、その事が、より一層、記憶の部屋を愛する事に繋がっていった。

ある日、私はいつものように記憶の部屋を訪ねていた。
ア!私は思わず声を上げた。驚くべき事が起こっていたのだ。
記憶が動いた!

誰もいないはずの記憶の部屋に一人の女性が座っているのだ。
いつもと同じ窓、いつもと同じカーテン、いつもの同じテーブル、いつのと同じオレンジ。
でも誰も座っていなかった椅子には、年老いた女性が座っている。

その女性に見覚えはなかった。母とも知人とも違っていた。どことなく異国の血を感じた。

私は疲れているのだと頭を振った。違う記憶が偶然混じったのだと思い込んだ。

でも、それから、あの記憶の中には、その女性が住みつく様になっていた。
あの記憶の場所を訪ねると、必ず年老いた女性が座っていた。
彼女の顔はシワが這い、青白い顔色をして身動き一つしなかった。

それから数日が経ち、私はまた、記憶の場所を訪れていた。
私は、もう一度、声を上げて驚かずにはいられなかった。
また、記憶が動いた!

椅子に腰掛けた女性が、こちらを向いている。
私は、女の目を一目見て、女が人間では無い事を直感した。
女は息をする度に、黄色い粉末を吐き出している。
記憶の女は、ゆっくりと動き出した。
私の方に近づいて来ている。
女の真っ赤な口が開き、私に何か語りかけようとしている。

私は、目をカッと見開いて、その場にしゃがみ込んだ。
「誰か止めて!私の記憶を止めて!」
posted by sand at 03:56| 超短編小説A | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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