2005年08月02日

ベッキーさんへの溢れる想い

ベッキー.jpg

ベッキーさんが好きだ。もはや、愛している。

ベッキーさんの出現(私にとって)は、キワ物扱いだった。
マギー・ミネンコ路線もしくは木の葉のこ路線を思わせた(どちらも安易に金曜10時うわさのチャンネル系)

しかし、よくよく見てるとベッキーさんは頭が良い。
そつがない。偏差値の高い、木の葉のこ路線にグレード・アップしていった。

このラインはかって森口博子が張っていた線ではなかろうか。
森口博子は、そんなに好きではなかった。
しかし、ベッキーさんに対してはグングンと自分でも驚くほど好きになってしまったのだ。
ベッキーさんへの想いが、お湯を溜め過ぎたお風呂に浸かるがごとく、ドワ〜〜と溢れて来るのだった。

私はベッキーさんの、どこが好きなのだろう?

近くにベッキーさんのような女の子がいたら、絶対引いてしまうタイプだ。
ベッキーさんとドライブに出かけたり、ベッキーさんと抱き合ったりなどと言うセクシャルな関係を望んでもいないようだ。
想像出来ないし、想像したくない。(ベッキーさんと縁側で冷たい素麺は食べてみたい)

私はベッキーさんが売れっ子である事を望んでいるようだ。
ベッキーさんの評判を気にしている。
会う人、会う人に、ベッキーって人気あるよね?とか聞いてしまう。
テレビに詳しい娘達に「ベッキーは、どうだい?まだまだ、いけそうかい?」とか真剣に尋ねてしまう。
ベッキーさんが、大物タレントに上手にイジられるの観るのが大変楽しい。
東山に上手に遊んでもらっているいるのを観るのが楽しみだ。

私のベッキーさんへの想いは、父から娘への想いなのか?
兄から妹への想いなのか?隣に住んでるお嬢ちゃんに対する想いなのか?
近所のオジサンとしての想いなのだろうか?

どうも違う。シックリこない。もっともっと切迫した想いなのだ。

よくよく考えると、私はベッキーさんを夜空に打ち上げられる<花火>のように見ている事に気がついた。
<花火>は美しく、そして、その終わりは、いつも哀しい。
私は、<ベッキーさんの終わり>を見ていたのだ。

ベッキーさんの立ち位置は、非常に不安定なように見受けられる。
彼女が飛んだり跳ねたりして笑っている場所は、切り立った断崖の上なのだ。
彼女は、今にも足を踏み外しそうにしながら、元気に笑って、その場所に立っている。

私は、ベッキーさんの天真爛漫な魅力に混在する、儚いうつろいをハラハラした面持ちで見守っている。

それでも彼女は、もっとずっとタフなような気もする。そうであって欲しいね。
posted by sand at 04:02| コラム・有名人 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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