2005年08月28日

ワン・ラブ

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Bob Marley & the Wailers / Legend

窓から海が見渡せる場所に差しかかると、妻は突然ブレーキを踏んで、車を路側帯に止めた。
何も言わずに、表に飛び出すと、海に向かって走り出した。
私は、慌てて後を追う。

妻は砂浜でヒールを投げ捨てた。振り返った時、笑っているように見えた。
私は走るのを止め、歩いて妻の後を追った。

海風は、かなり冷い。
妻は、波打ち際で海を眺めている。

「驚いた?」妻は振り返って、そう言った。
私は、うなずく。

海風が、妻の髪を宙に投げ上げる。
「老けたな〜」妻の顔を眺めながら私は思う。もちろん私も老けてしまった。

「私、変わったでしょ?」妻は聞く。
「いや。そうでも無いよ」私はウソをつく。

妻は下唇を軽く噛む。それが癖なんだ。
初めて会った日にも、そうやって下唇を噛んでいた。

当時の妻は、驚くほど派手な口紅を塗っていた。
「あなたの眉毛が太いのに驚いたわ」後に私の第一印象を、妻は語った。

今の妻は、あの頃のように派手な口紅を塗っていない。あの頃のように瞳をクルクル回さない。
肌のハリも無くなった。シワも増えた。白髪も目立つ。

でも、笑い方は変わらない。

「今日は良い気分だと思わない?」妻は、晴れた空を眺めながら言う。
「そうだね」

「こんな日に、炊飯器を買い換えるってのは、どう?」妻は言う。
「良いね。最近、水っぽかったし」私は、そのアイディアを歓迎する。

結局、今の我々に必要なのは、ささやかなアイディアなんだ。
本当に、ささやかで良いんだ。


posted by sand at 05:06| 超短編小説B | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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