2007年12月23日

クリスマスのアライグマ男

Christmas And The Beads Of Sweat.jpg
Laura Nyro / Christmas And The Beads Of Sweat

 今夜も西の山から地面を揺らすような声が聞こえます。街のみんなは、それが誰の声なのかを知っています。そして、その声の主が、どんなに獰猛で、どんなに残忍なのかを知っているのです。西の山の奥深く、ケイルの谷底から、その声は聞こえてきました。そこに住む、その声の主を、みんなは迷惑そうに眉をひそめて、こう呼びました。
『アライグマ男』と。

 ローラは清掃会社を経営しているJJの娘です。でも、家族達は(もちろん父であるJJでさえも)ローラを家族の一員とは思っていませんでした。JJ一家は裕福でしたが、ローラは、そうではありませんでした。いつも汚れたボロ着をまとい、クモの巣が張り巡らされた屋根裏部屋で暮らしていました。ベッドの上は、ネズミのフンだらけで、ローラの身体からも異臭がしました。
 ローラは死んだお母さんを思い出して泣きました。ローラは誰とも会話する事がありませんでした。一日中。一年中。いえ、ローラは生涯一度も、お母さん以外の人間と話した事がありませんでした。ローラの声は誰にも聞こえなかったのです。ローラの声が聞こえたのは、お母さんだけでした。でも、そのお母さんも死んでしまいました。ローラの声は誰にも届かなくなったのです。

 ローラは本当のお父さんを知りません。お母さんは本当のお父さんの話を一度もしませんでした。ローラが、まだ小さい頃、お母さんはローラの異変に気がつきました。「この子の声が聞こえるのは、私だけなんだ」とお母さんは気が付いたのです。
 それからお母さんは方々の病院にローラを連れまわしました。でも結果はいつも一緒です。「異常はありません」お医者さん達は首をひねることしかできませんでした。

 やがて、ローラの母は金持ちのJJに見初められて、彼の後妻に入る事になりました。でもJJは最初から不気味なローラを嫌っていました。それからしばらくして、ローラのお母さんは、あっけなく死んでしまったのです。ローラを一人残して。

 JJや兄弟達はローラを疎ましく扱いました。JJが新しい妻を迎えると、いよいよローラの居場所はなくなってしまいました。ローラは屋根裏部屋に追いやられ、家族の誰もがローラを忘れようとしました。

 クリスマスの夜。JJ一家は盛大なパーティで盛り上がっていました。屋根裏部屋のローラはと言うと、やはりベッドの上で一人泣いていました。そして、その夜、ローラは心を決めました。
「私は生きたくない。もう私は生きたくない。あの獰猛なアライグマ男に食べられて死んでしまおう」と。それは可哀想なローラが始めて示した自分の意志でした。

 ローラは裏口からJJの屋敷を抜け出して、西の山を目指して駆け出しました。やがて空から冷たい雪が降ってきました。裸足のローラの足は、すぐに血だらけになってしまいました。でもローラは痛みを感じません。足の痛みより心の痛みの方が、ローラには辛かったからです。

 何時間も歩き続けて、ようやくローラはケイルの谷底に辿り着きました。谷底には丸太で作った粗末な小屋がありました。そこにアライグマ男が住んでいるのです。ローラは恐る恐る小屋を覗き込みました。その時、ローラは後ろに気配を感じました。急いで振り返ると大男がローラに覆い被さるように立っていました。

 ローラは恐ろしさのあまり誰にも聞こえない声を張り上げました。
「ああ、どうか私を食べてください。私は生きている必要の無い人間です」
そしてローラは目を閉じました。

 意外な事に聞こえてきたのは優しい声でした。
「僕は君を食べたりしませんよ。それに生きている必要の無い人間なんか、この世にはいませんから」
 ローラが目を開くと、優しく微笑むアライグマ男の顔が見えました。

 ローラはアライグマ男と向かい合ってテーブルに座っています。テーブルにはアライグマ男が作った料理や果物が沢山並べられていました。アライグマ男はローラのグラスに自家製のワインを注ぎます。その夜のローラは溜め込んでいた物を吐き出すかのように喋り続けました。不思議な事にアライグマ男にはローラの声が聞こえたのです。小屋は二人の笑い声に包まれました。でもローラの声が聞こえるのはアライグマ男だけなのです。この世にたった一人だけなのです。

 夜が更けて行くと、次第にアライグマ男の顔は曇って来ました。彼は寂しそうに話し始めました。
「僕が優しい気持ちになれるのは、クリスマスの夜だけです。何故だか分かりません。クリスマスの夜だけ僕の声は小さいのです。でも明日の朝には僕の声は、いつものように大きくなってしまいます。獰猛に吼えてしまうのです。そうしたら僕は、とても残忍で凶暴になってしまうのです。僕は、僕の大きな声に支配されてしまうのです。それは本当の僕ではありません。でも僕はそうする事しか出来ないのです。
 明日の朝。貴方が僕と一緒にいたら、僕は貴方を食い殺してしまうでしょう。引き裂いてしまうでしょう。僕は貴方を愛しています。だから、今すぐ、ここから出て行って欲しいのです」

 ローラは彼の話を聞き終えると首を振って応えました。
「いいえ。私は貴方と一緒にいます。神様は私に一晩だけ幸せを分けてくださったのです。私は、それで充分です。私は自分の意志でここに来ました。それはとても大きな冒険でした。そして、それに見合うだけの幸せを手に入れたのです。たとえそれが一晩だけでもです。私は今夜、生きている意味を見つけました。私の生涯は無駄ではありませんでした。どうか、私を貴方のおそばに置いて下さい」

 ローラはアライグマ男の胸に顔をうずめて眠りにつきました。ローラの瞳から涙が一粒こぼれました。その涙はいつもの涙とは違いました。幸せの涙です。

 二人の枕元に、神様が現れました。神様はいつも公平な方です。時にそれは残酷なほどでした。

 神様は眠っているアライグマ男に向かって言いました。
「アライグマ男よ。お前に優しい心を授けよう。そのかわり、お前の獰猛な声を持ち帰る事にする。お前は、いつでも優しい心を持ち続けられる代わりに、大きな声を失う事になる。私は常に公平なのだ」

 それから神様はローラに向かって言いました。
「ローラよ。お前にどんな人にでも聞き取れる声を授けよう。お前の声は誰の耳にも届くであろう。そのかわり…そのかわり…」そこで神様は考え込みました。この女の子から何を持ち去れば良いのであろうと。この孤独で貧しく、侮辱や虐待を耐え忍び、涙を流し続けてきた女の子から。その時、神様はハッと気が付かれました。そしてローラに向かって言いました。

「ローラよ。お前にどんな人にでも聞き取れる声を授る代わりに、お前の涙を持ち帰ろう」と。

 翌朝、二人は光に包まれて目を覚ましました。クリスマスの奇跡は二人に明日を与えたのでした。それから二人は生涯その谷で幸せに暮らしました。

 ローラの瞳から涙がこぼれる事は二度とありませんでした。
この記事へのコメント
いやー泣けた。久々に清い涙を流しましたよ。
世間で言う「泣ける話」ってのはちっとも好きじゃないんですが(だって清くないもの)さすがsandさんです。
ローラ・ニーロという人は例によって知りませんでしたが、アマゾンのレビューを読むと暗そうですね。どんな感じなのか興味があります。
ちなみに、私、もうバトンやってますよ。sandさんが読んでくんなかっただけ。プンプン。
まあいいや。来年もよろしくお願いします。
sandさんにメリークリスマス!
Posted by ショコポチ at 2007年12月24日 08:02
いやいや。どうもありがとさんです。
長いの読んで頂いて、感謝です。

ローラ・ニーロさんは↓の感じですよ。
http://jp.youtube.com/watch?v=Jjdowef1oKE

あ、バトンやってた。見た見た。でも憶えてない。記憶に無い。なんにも分からない(だんだん歳食ってTWANG化が進行しています)

で、誰に回せば良いんかな〜、友達少ないからな〜。
そろそろ帰省ですかね。今年は変化の年でしたね。慣れるまで大変かもしれないけど。でも良い旦那さんで良かったね。ショコポチ一家が幸せになるのを願ってますよ。また来年もよろしく。来年は今年よりも、ずっと良い年になりますよ。お互いにね。
Posted by sand at 2007年12月24日 16:02
ぐっときてしまいました。
私にとってローラ・ニーロは、幸薄い女性というイメージが強くて(あくまでも「イメージ」ですよ)。だからsand さんの短編小説はじわっと伝わりましたよ。

で、いまさらなのですが、クカモンガって何?
Posted by nyarome007 at 2007年12月26日 01:16
こんちは。すいませんね。駄文を読んで頂いて、恐縮です。
ローラ・ニーロは、そうですね。幸薄いイメージ確かにありました。でも↑の動画観たら、やたらタフそうで困ってしまいました。

>クカモンガって何?

お。nyarome007さんなら分かりますよ。ザッパのクカモンガ・イヤーズ↓(在庫切れだった)
http://www.amazon.co.jp/%E3%82%AF%E3%82%AB%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%82%AC%E3%83%BB%E3%82%A4%E3%83%A4%E3%83%BC%E3%82%BA-%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%82%B6%E3%83%83%E3%83%91/dp/B00005IGI6
Posted by sand at 2007年12月27日 16:52
ザッパでしたか! 不覚にも気づきませんでした。あーすっきりした。
Posted by nyarome007 at 2007年12月27日 23:24
どもども。あ、トラックバックありがとうございます。このローラの文章良いですよね〜。昨年読んで浸りました。
Posted by sand at 2007年12月31日 16:39
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Christmas In My Soul
Excerpt: Laura Nyro/Christmas and the Beads of Sweat(1970年作) 「ローラ・ニーロのどのアルバムが好き?」と訊かれると、ボクはちょっと口ごもってしまう。だっ..
Weblog: AFTER THE GOLD RUSH
Tracked: 2007-12-26 01:11
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