2005年09月30日

光りの通る道

Agaetis Byrjun.jpg
Sigur Ros / Agaetis Byrjun

ボクは、その年の夏に彼女を腹ましてしまった。

その日は、朝から雨だった。
ボクらは、傘をさして、その街を歩いた。由布院と言う街だった。

その処理方法を決意したのは彼女だった。
ボクは、すぐにでも結婚したいと言った。けれども、彼女は、もう強く決意していた。
それ以上、何も言う事は出来なかった。

それが行われる日は、来ないでくれ、と言われた。彼女の友人が立ち合った。

終わった夜に電話をいれた。
とても痛かったと言った。

彼女は、やがて泣き始めた。すすり泣きは、ずっと続いた。
ボクは、その間、言うべき言葉を探し続けた。
でも、何一つ見つける事が出来なかった。

金鱗湖へ続く道を、右の折れて由布院民芸村に向った。
林を抜けた所に、古い民家を改装した古風な建物があった。
民芸村の高い天井を見上げると、古い古い空気が、息をひそめて、へばりついているように感じられた。

そこには、和紙やガラス工芸、古風な小物、洒落た陶器が並んでいた。彼女は、それらを一つ一つ手に取って眺めた。
ボクは、彼女のマツゲを、ずっと見ていた。彼女のマツゲは、フワフワと上下に揺れた。

彼女は、青いガラスコップを2つ買って、1つをボクにくれた。

美術館に向う途中、彼女は話し始めた。

「ポール・クレイマーの娘の話しって知ってる?」
「いや、知らない。」ボクは答えた。

「ポール・クレイマーは、古い時代の貴族で大金持ちだったのね。彼には、美しい娘がいたわ。でも、とても痩せてたのね。別に彼女が小食だった訳ではないのよ。むしろ、大変な食いしん坊だったわけ。
なにしろ大変な大金持ちだったから、食べる物は、山のようにあったわけね。彼女は、それをペロリと一口で飲み込んじゃうのね。
どんな大きな果物でも肉でも。ケーキでさえ、一口で飲み込んじゃうのよ。ペロリってね。」

雨は、小降りになって、まるで霧のようだった。
彼女の髪は、小さな水滴で、キラキラ輝いた。

彼女は、話し続けた。
「実際には、彼女の、お腹の中には大きな回虫が住んでたのね。とても大きな回虫だったから、どんな食べ物でもペロリと食べちゃうのよ。
でも古い時代だから、誰もその事に気付かないのよ。家の人達は、彼女に沢山の食べものを与えたわ。でも彼女は太るどころか、だんだん痩せて弱って来たのね。
家の人達は、心配で彼女のお腹が、どこか別の場所に繋がっているんじゃないかと疑ったのね。」

道は、大きなスローブを描いて美術館まで続いていた。雨に濡れた草木は、金持ちの胸元みたいに光りに包まれていた。

彼女の話しは続いた。
「それで、1つのプランを立てたのね。小鳩を一羽、生きたままパイに詰めて、彼女に食べさせるの、もし、彼女のお腹が、別の場所に繋がってたら、小鳩は、そこから飛んで戻って来るだろうってね。
ある日、生きた小鳩をパイの中に入れて彼女の前に持って行くと、彼女は、いつものようにペロリと一口で飲み込んだのよ。」

彼女は、一呼吸おいてボクに質問した。
「それで、どうなったと思う?」

「回虫が小鳩を食べちゃったんだろ。」ボクは答えた。

「バカね。お腹の中でパイから出てきた小鳩は、回虫を摘まんで食べちゃったのよ。」彼女は言った。

「それで?」

「それで、彼女は、元気を取り戻して、幸せに暮らしたのよ。」彼女は、笑いながら言った。

「小鳩は、どうなったの?」

彼女は、笑うのを止めて答えた。
「小鳩は、彼女のお腹の中で、彼女が死ぬまで、彼女を守ったのよ。そういう種類の小鳩だったのね。
小鳩が、ずっと彼女のお腹を守ってくれたから、彼女のお腹は二度と傷つく事は無かったわ。
彼女の、お腹を傷つける者は、誰もいなくなったの。」


雨は、ボクの顔も濡らした。

ボクは、彼女の痛みを感じる事は出来た。それは肉を切り裂く痛みだ。
でも、ボクには彼女の抱えた、もう一つの痛みを感じ取る事が出来なかった。

彼女が何を失ったのか、ボクには何一つ理解出来なかった。

彼女の身体の中にある、光の通る道を、ボクは素通りしてしまったのだ。


posted by sand at 03:34| Comment(0) | 超短編小説B | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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