2005年10月16日

My Back Pages

Another Side of Bob Dylan.jpg
Bob Dylan / Another Side of Bob Dylan

フロアにあるステージに<口笛吹き>が現れた。
彼の登場に、ざわめいていた店内はシーンと水をうったように静まり返った。

<口笛吹き>は一呼吸おいて、口笛を奏で始めた。
物凄い音圧だった。口笛でこれほどの迫力を出せるとは。澄みきった空を駆け抜けるような高音。
低く地を這って腹部に食い込むような低音。
<口笛吹き>は自在に音を操り。聴衆の心の奥底に潜む、ある感情を見事に引き出して行った。
メロディは、トラディショナルの「Amazing Grace」に似た情感を漂わせていた。
何人もの女猫は、ハンカチで涙を拭っていた。我々は、哀しい口笛の響きに心を奪われていた。

私と埼玉ネコは、猫町にあるラウンジ・バーに来ていた。

猫町にある繁華街は、無数の小さな飲食店がひしめいていた。
ネオンライトは色取り取りの光を放ち、酔客が通りを埋め尽くしていた。
でも、その光は人の町のそれに比べて暗かった。20ワットほどの華やぎを感じさせた。

埼玉ネコが案内したラウンジ・バーは、高級な部類に入るのだろう。
狭い猫町の建物にしては、広々としたフロアに通され、ボックス席に腰を下ろした。

埼玉ネコは、この町では実力者のように見受けられた。
誰もが彼に丁寧に挨拶をし、敬愛の眼差しを注いでいた。

「偉い人なんだな」私はテーブルに腰を下ろして埼玉ネコに言った。
「小さな町さ。なにもかもね。分かるだろ?」埼玉ネコはチャーミングな微笑みを浮かべた。

猫町のアルコールは1種類しか無いようだった。鮮やかな青色をした飲み物だった。
ブルーハワイを、もっと濃くしたような色合いだった。

彼らは、その酒を「ローリング・ストーン」と呼んでいた。

少し嫌な匂いがしたが、味は不味くはなかった。酸味の効いたジンフィズに似た味がした。
アルコール度数が高いのだろう。口当たりは優しいが、後から胃袋の中で燃え上がってきた。

私は疲れもあってか、すぐに酔ってしまった。

「疲れたかい?」埼玉ネコも「ローリング・ストーン」を口にしながら言った。

「いや。そうでもない。旅を楽しんでいるよ」私は微笑を浮かべた。

<口笛吹き>は、素晴らしい演奏を終えると休息に奥に引っ込だ。
これほどの演奏をするには、相当な体力が必要なのだろう。

この町では、口笛こそが最も伝統ある演奏形態のようだった。
<口笛吹き>は別格の扱いを受けた。

「さて、今は何時くらいかな?」私は、席に座り直して埼玉ネコに尋ねた。
かなり酔ってしまったのだ。

「悪いが、この町には、時間がないんだ。」埼玉ネコは身体を椅子に埋めるようにして話始めた。
「いや。有るのは有る。でも、それほど重要とは考えてはいない。
時間は答えではない。時間は、単なるヒントに過ぎない。この町では、ずっとそうだ。

ある者は、産まれながらにして老人であり、ある者は、死ぬ瞬間まで子供でありうる。
ある者は、一瞬にうちに歳を取り、ある者は、一瞬の出来事で若返る。

時間は結論ではない。時間は参考に過ぎない。どう使うかは、その者次第と言う事だ。」

埼玉ネコは、手に持った「ローリング・ストーン」を飲み干して、こう言った。

「この町には時間が流れてはいない。流れているのは口笛の響きだけだ」

<口笛吹き>が、もう一度、フロアに登場して口笛を奏で始めた。
フロアに響き渡る口笛は若く。私の瞳を若くした。


 ああ、あのとき、わたしは今よりふけている
 今は、あのときより、ずっとわかい
  「Bob Dylan / My Back Pages」
posted by sand at 04:58| Comment(4) | TrackBack(0) | 超短編小説・埼玉ネコシリーズ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
はじめまして。
超短編小説会からやってきました。
作品の世界に引き込まれてしまいました。つられて何作か読ませて頂きましたが、どれも独特の世界入り込んでしまいました。
こういう文章を書ける人、あこがれてしまいます。
思わず、訳の分からないことを書き込んでしまいました。これからも、お話を読みに来ます。
Posted by まえぞう at 2005年10月16日 07:23
どうも訪問して頂いた上、多分なる、お褒めのお言葉まで頂きまして、恐縮している次第です。

本当に、励みになりました。感激です。

同年代の方のようにお見受けしました。
時々、遊びに寄らせて貰います。今後とも、宜しくお願い致します(^_^;)
Posted by sand at 2005年10月16日 16:01
>
時間は結論ではない。時間は参考に過ぎない。どう使うかは、その者次第と言う事だ。

 いいこと書きますね。時間に使われている自分。
>今は、あのときより、ずっとわかい
 自分の人生訓です。
Posted by ITORU at 2005年10月16日 17:41
>時間に使われている自分

これは、もう誰でもそうですね。

ディランの曲や詩は、歳を取れば取ったで、受け止め方が変わって来ますね。
短くて荒々しい言葉が時代を越えて響いてくるってのは凄い事です。
Posted by sand at 2005年10月17日 03:01
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