2005年10月30日

青空のヴァレリー@

Talking Back to the Night.jpg
Steve Winwood / Talking Back to the Night

 荷物を車に詰め込んで、出発の準備が整った。
彼女に会いに行くのだ。ナビゲーターのアライグマ男は助手席でイビキをかいて寝ている。
私はレンタルした4WDに乗り込んでエンジン・キーを回す。
車を道路に乗り出しスピードを上げる。時刻は、まだ深夜だ。
彼女の住む街までは、かなりの距離を走る必要がある。
私はアクセルを踏み込み、車の空いた真夜中のハイウェイを泳ぐように推進させる。

 彼女は目が不自由だった。
 私と彼女は、一年に数回、カセットテープに吹き込んだ手紙のやりとりをしている。私は、自分の身辺に変化や曲折が訪れた時、彼女にカセットテープの手紙を送った。
彼女に向かって(実際にはテープレコーダー)語りかけていると不思議と心が落ち着き、混乱が緩やかに解消して行くような気持ちになった。

彼女からの手紙(カセットテープ)は、庭に植えられた植物や近隣に住まう街の住人達の噂話が主だった。彼女は随分高齢で一人暮らしだった為、生活の変化には乏しかった。
でも、とつとつと話す彼女の声を聞くのは楽しみだった。
彼女は虚栄や物欲とは無縁の人だった。彼女の楽しみは、人が幸せに暮らしている話を聞く事だった。それが彼女の抱えた哀しみを、唯一和らげる事が出来る救いだったのかもしれない。

 山間のハイウェイを走っている途中に夜が明け始めた。
少し色づき始めた山々が次第に鮮明になって行く。連なる山の陰から顔を覗かせる赤い太陽は、生命の鼓動を感じさせる力強さに溢れていた。
私は、真新しい日の光を身体に浴びると自分が新しく生まれ変わるような心地良さを感じていた。
夜の自分が死に、朝の自分が産まれる。

山頂近くのパーキング・エリアでアライグマ男を揺さぶり起こす。
彼は、目を擦りながら大あくびをする。
「よく寝てましたね」
「ええ。今日の午前中に備えていました」アライグマ男は朦朧とした頭で答えた。

車外は凍えるほど寒い。
我々は車のヒーターを入れたまま、コーヒーとサンドイッチで朝食を取る。
ハムとチーズとピクルスを挟んだ玄米パンのサンドイッチを頬張りながら、ポットに準備していた熱いコーヒーを流し込んだ。
アライグマ男は寝起きでも良く食べた。
あっと言う間に用意して来た朝食は、終わってしまった。
我々は、車を降りて震えながらトイレに駆け込み、エリア内にある展望台に登ってみた。

朝靄に包まれた海辺の街が眼下に広がっていた。
海岸線は、滑らかにスローブを描いて海と陸とを隔てている。海の彼方には、幾つかの小島が浮かんでいるのが見えた。
冷たい風が、海のある街に吹き降りて行く。私は高い空を舞う鳥のように風のウネリを聞く。

アライグマ男が、袖を引っ張って「寒いから車に戻ろう」と素振りで伝える。
我々は小走りで車に再度乗り込む。

「では出発」私は車をスタートさせる。
「了解。道案内は任せてください」アライグマ男は道路地図を抱えて答える。

カーステレオが音を解き放つ。Steve Winwoodの「青空のヴァレリー」。
「良い気分ですね」スティービーの爽快な声を聞きながら私。
「この旅をSteve Winwoodに捧げましょう!」アライグマ男が声を上げる。

鮮やかな緑色をした背景の中に、我々の車とスティービーの歌声が吸い込まれる。
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