2005年11月01日

青空のヴァレリーA

Arc of a Diver.jpg
Steve Winwood / Arc of a Diver

 走り始めて、5分も経たないうちにアライグマ男は道路地図を抱いたまま、再びイビキをかき始めた。この車にはカーナビが付いていたので、特に困る事は無かったのだが。

 彼女に会ったのは、私がまだ大学に通っていた頃だった。
ある夏、友人の中型バイクを借りて一人旅をした事があった。もちろん授業とバイトをサボって。
リュックを荷台に縛りつけて、あちこちの街を走り回った。強い風を浴びてバイクを走らせていると、当時抱えてた漠然とした焦燥や不安が、呆気なく吹き飛んでしまう。そんな気持ちになった。
激しい雨の日は、全身ずぶ濡れになって走った。茹だるような猛暑の日には、身体中から汗を撒き散らしながら走った。

 雨の夜は、街中のカプセルホテルに泊まった。サウナで汗を流し、ロビーで缶ビールを流し込むと、一日の疲れは消え去ってしまった。私は、まだ若く、タフな身体と柔な心を併せ持っていた。

 晴れた夜は、郊外の公園のベンチの上で寝た。缶ビールとハンバーガーを買い込んで降るような星の下で、それらを詰め込んだ。夜の風は爽やかで私は自然の中に包み込まれるような幸福を感じた。
横になって星を見上げながら考え事をしようと試みた。でも、いつでも結論が出る前に眠ってしまう。答えは、眠りの番人に奪われてしまうのだ。結局、私の手元には何も残りはしなかった。


 私とアライグマ男を乗せた車は、眩しい陽射しを浴びながら海岸線を走っていた。
青々とした海原に白い波飛沫が舞い上がっている。何隻かの客船が、船体に眩しい日の光を浴びながら、ゆったりと進んでいるように見える。少し窓を開けると、ふくよかな潮の香りが鼻を刺激した。
遥か彼方で、空と海が溶け合い、揺るぎのない調和を誇示しているように思われた。

 もうすぐ海辺の温泉地帯を通過する。我々は、そこで高速道路を降りて温泉に入る算段だった。
しばらく行くと到る所から湯気が吹き上がり、硫黄の匂いが漂い始めた。海岸線には、密集するように立ち並ぶ巨大な観光ホテル群が見渡せた。
 我々は高速を降りて温泉街に向かった。温泉地へ繋がる広いバイパスには、椰子の木に似た街路樹が道路脇に規則正しく配置されリゾート地の景観を漂わせていた。我々は大規模な観光ホテルが隣接する開発区域には向かわず、古い旅館が目に付く、昔ながらの温泉宿場の方向に車を進める。
狭い上に駐停車した車両が目立つ、ゴミゴミした通りの両脇には、古くて赤茶けた温泉宿が立ち並んでいる。
何軒も軒を連ねる土産物屋。小さくて汚いパチンコ屋。バーやスナックの看板が歩道までハミ出している。昼間でもチカチカとネオンが点滅する風俗店。胡散臭そうな暗い雰囲気の漢方薬局。温泉宿場の風景は昭和の時代にタイムスリップしたように昔ながらの佇まいを見せていた。

温泉街の端に市営の駐車場が見えてきた。私は、そこで車を停めた。

エンジンを切った後、一度も目を覚まさなかったアライグマ男を揺さぶり起こす。
彼は、目を擦りながら大あくびをする。
「よく寝てましたね」
「ええ。今日の午後からに備えていました」アライグマ男は朦朧とした頭で答えた。
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