2008年01月02日

砂丘を待つ

Elegy The Nice.bmp
The Nice / Elegy

★超短編小説会12月分の投稿用です。出来が良くなかった。いつものように一発書きだから粗いし。お暇なら宜しく

『後30日。俺は砂丘を待っている』

 俺はゲリロからのメールを読み終わると、軋むベッドから腰を上げ机の引き出しから黒い油性マジックを取り出した。それから、まだ真新しいカレンダーの前に立ち今日から35日目を指差しながら数え始めた。「1・2・3…」
 流し台の蛇口から水が滴り落ち、シンクの底を打った。「トン・トン・トン…」
「…8・9・10・11…」「…トン・トン・トン…」街は、まるで死に臥したように静まり返っていた。俺の口から零れ落ちる数字のカウントとシンクを打ち続ける水滴の音が奇妙な調和を聞かせていた。俺は数字をカウントし続け、指先をカレンダーの上で滑らせた。水滴の音は、雑音を取り上げられた街中に木霊し、俺の中から消え失せた、魂の鼓動を呼び起こそうとしていた。

「……27・28・29・30」
 俺のカウントは終わり、俺の指先はカレンダーの日付の上に張り付いたまま動きを止めた。「…トン・トン・トン…」だが水滴の音は鳴り止まない。俺はその音に置き去りにされる。俺の鼓動は止み、俺は元の場所に放り出される。時を刻まぬ場所に。

 俺は止まった指先が示した日付に黒マジックで丸印を記す。俺はその黒い円を凝視する。その円の向こうに潜むゲリロを追い求める。そしてゲリロを覆い尽くそうとする砂丘のうねりを聞く。

『後20日。俺はマーマレードの川を渡る。空を見ろ。砂丘のうねりが聞こえる。もうそこまで来ている』

 俺はゲリロからのメールをベッドの上で受け取る。俺は凍えていた。震えが止まらない。俺は痩せ細った身体をベッドから引き剥がすように起こし、マジックを手にカレンダーの前に立つ。今日の日付に×印を記す。あの日から10の×印が並んでいた。俺は残りの日数に胸を焦がした。俺はゲリロに嫉妬していた。『ヤツは上手く、やりやがった。俺はと言えば女にも仕事にも見放された。もちろん金にも。俺にあるのは有り余った時間だけだ。それが俺の全てだ』俺は力なく呟く。それから鏡に映る自分を眺める。そこには痩せ細った冴えない男が映し出される。『やあ。調子はどうだい? なんだい。冴えない面してさ。俺はな。お前と組んだのが間違ってたよ。大きな間違いだったのさ』俺は鏡の中の俺に話しかける。鏡の中の俺は気まずい顔をして視線を逸らす。

『後10日。この街の女は猫の面をつけている。どの女も俺のペニスにしゃぶり付き。どの女も俺に陰部を押し当てる。どの女も知っているのさ。俺が砂丘を待っている事をな』

 俺はゲリロからのメールを受け取る。俺は這うようにカレンダーの下に行き、震える手で日付を塗り潰す。俺は何日も食事をしていない。いや、それは違う。食べたくないだけだ。食事をしょうとしないだけだ。
 俺はゲリロを憎んでいる。俺はヤツに出し抜かれた。ヤツは俺を騙し、痛めつけ、見下し、哀れみながら砂丘に乗ろうとしている。俺はヤツに復讐を誓う。俺はこの手でゲリロを葬り去る。
 鏡に近づくと中でゲリロが笑っていた。俺を見下し、蔑み、嘲笑っている。俺は拳を鏡に叩きつける。鏡は砕け散り、俺の拳に深い傷を残す。俺は拳を血に染めて、ベッドに倒れこむ。

『後1日。どうだい。空は砂に覆われた。見渡す限り、砂の空だ。砂丘は俺を待っている。いよいよ明日の朝だ。さよなら。お前の幸運を祈っているよ。空に広がる砂丘の上からな』

 俺はゲリロからのメールを受け取った。だが身動きが出来ない。俺は衰弱し、意識が朦朧としていた。俺の腕や足は、まるで俺の言う事をきかなかった。俺は切り捨てられた丸太のようにベッドの上に投げ出されているだけだった。
 だが、朦朧とした意識の中にあっても、ゲリロへの恨みが俺を突き動かそうとしていた。俺は負けない。俺は決して負けない。

 目を覚ますと窓から日の光が差し込んでいた。朝だ。
俺はベッドに横たわったまま首を動かして窓の外を見やった。砂だ。街は砂に覆われている。この街は見渡す限りの砂丘になっていた。
 砂丘の上に人が一人立っている。ゲリロか? 俺は必死でその男を凝視する。
『あの男は、ゲリロじゃない。ゲリロじゃない! あの男は俺じゃないか。俺はゲリロを出し抜いたんだ。俺はゲリロに勝ったんだ! ウハハハハハハ!』俺は笑い続ける。俺は可笑しくてたまらない。

 やがて俺を乗せた砂丘が、空を駆け上がる。
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2007年07月17日

ノッポのClair(後編)

Gilbert O'Sullivan2.jpg
The Best of Gilbert O'Sullivan

 クレアは、スルスルと服を脱ぎ捨てると、猫のように背を丸めてベットに横たわった。私は背後から彼女に覆い被さり、彼女の耳たぶを弱く噛んだ。クレアの耳の奥深くから「カシャン」とガラスに亀裂が走る音が聞こえた。
 クレアの"羞恥心"が砕けた音だった。私は一瞬、我に返った。その光の射さぬ簡素なベットルームで私はクレアを抱いていた。私はクレアの深部にまで関わってしまった事を痛感していた。それでも、そこには確かな現実感が欠落していた。私には、今ここで起こっている事が奇妙な偶然の連続のように思われて仕方がなかった。


 私は何度かクレアと話しているうちに、彼女が持つ強い透明感に引かれていった。彼女の心は、とてもピュアで、それでいて恐ろしいほどタフでもあった。私はクレアの氷のように冷たく透明で、尚且つ強固な精神性に魅せられていた。ただ彼女はあまりにも高い場所にいて、私は彼女の肩に触れる事さえ出来なかった。

 「あなたが望むのであれば」

 その日もクレアは、私をキッチンに案内した。彼女がテーブルにコーヒーカップを運んだ後に、私はコーヒー用のクリームが切れている事に気が付いた。私はテーブルを立って「コーヒー用クリームの買い置きがあるか?」と聞いた。「貴方には手が届かない場所にあります」と彼女は答えた。
 クレアはキッチンに置かれた、かなり大型の食器棚に歩み寄り、その天板の上に手を差し入れた。奥から瓶入りのコーヒー用クリームが出てきた。私には到底、手の届かない場所だ。
「どうして、そんな高い場所にクリームを?」私はクレアに聞いた。彼女はコーヒーカップにクリームを注ぎながら「それを人には触れさせたくはないのです」と答えた。
「どうして触れさせない? クリームがそんなに大切なのか?」私はさらに聞いた。
「何が大切なのかは、人によって違うものです。あなたにとってのクリームと私にとってのクリームは同一の物ではありません。私は私の基準の範囲で、それについて考え、そしてそれに触れます。それぞれ人は手の届く場所が違うものなのです。」
「…手の届く場所?」クレアの言葉を私は舌の上で何度も転がした。

 私が最初にクレアを抱いたのは、それから数週間後の事だった。
私はクレアとの会話の途中、無言で立ち上がり、立ったまま彼女を抱き締めた。クレアは一切抵抗しなかった。
 私はクレアとの会話の中から、彼女の中に『不自然な皺』が複数あることに気が付いた。私にはその不自然さが苛立たしかった。彼女は彼女が抱える問題を、ある不自然な思考で覆い隠そうとしているように見えた。クレアはとても聡明で魅力的な女性であった。しかし彼女は彼女自身が生み出した『不自然な皺』によって不恰好に歪められているようだった。
 それは言葉ではなく、もっと直接的な行為でしか、彼女に伝える事が出来ないように私には思われた。

 私はクレアを抱き締めたまま、耳元にささやいた。
「私は君に手が届く。私は君の髪に触れる。そして、それは私一人でもない。誰でも君に手が届き、誰でも君に触れる事が出来る。そう君が望むのであれば……」

 クレアは、スルスルと服を脱ぎ捨てると、猫のように背を丸めてベットに横たわった。私は背後から彼女に覆い被さり、彼女の耳たぶを弱く噛んだ。クレアの耳の奥深くから「カシャン」とガラスに亀裂が走る音が聞こえた。
 クレアの"羞恥心"が砕けた音だった。

 その夜のクレアは普段通りに振舞った。私は帰り際、ドアノブに手をかけたまま、振り向いてクレアにこう伝えた。
「クレア。一緒に暮らさないか?」
クレアは目をクルクル回して「あなたが望むのであれば」と言って笑った。その言葉から彼女の真意は伝わってこなかった。
 それからクレアは奇妙な事を聞いてきた。「貴方は、両手離しで自転車に乗れますか?」
私はこう答えた。
「ああ。若い頃は乗れたよ。なんて事はなかった。でも今は、どうかな? 今は出来たとしても、やらないだろう。やる必要が私には無いんだ。」それでクレアは私を送り出した。
 そして、それが最後に彼女と交わした言葉になった。

 その夜、クレアと別れてからも、私は夢の中にいるような現実離れした感覚を覚えていた。クレアは本当にこの世に存在しているのだろうか? 私は悪い夢を見続けていたのではないだろうか? 私は繰り返し考え続けていた。

 二日後にクレアのオフィスを訪ねると、家中のカーテンが開け放たれていた。室内は日の光を浴びてキラキラと輝いているように感じられた。玄関には鍵がかかっていなかった。誰でも、その扉を開ける事が出来た。
 私は燦燦と日が差し込む、暖かい室内を見回した。クレアの荷物は何もなかった。デスクの上にだけ修復された"羞恥心"が揃えて置いてあった。私が依頼したものだ。

 私は裏手に周りキッチンに入った。そこにも溢れるほどの日の光が満ち溢れていた。二人でお茶を飲んだテーブルの上にクリームの瓶が置かれ、手紙が添えられていた。

 クリームの瓶に目を凝らすと、瓶の中に"壊れた羞恥心"が浮かんでいた。多分、クレアのものだ。手紙には、こう記されていた。
「私の傷を誰の手にも届く場所に。あなたが、そう望むのであれば」

 私は椅子に腰掛け、しばらく、その"壊れた羞恥心"を眺め続けた。それは紫色にキラキラと光り続けた。

 私は女に捨てられた情けない男だった。そして心に傷をおっていた。しかし、同時に私は清々しい気持ちでクレアを見送ろうとしていた。彼女の決断を心から歓迎したくもあった。


 クレア。のっぽのクレア。彼女は両手を離したのだ。その長い腕を大きく開き、光に向かって、かざしたのだ。



★ダメでした。ソーリーソーリー。後半時間がなくて飛ばし過ぎた。飛ばさなくても、出来が悪いけど。出直してきます。


Gilbert O'Sullivan - Nothing rhymed

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2007年07月16日

ノッポのClair(前編)

Gilbert O'Sullivan.jpg
Gilbert O'Sullivan - Best Of

 クレアは、受け取った"壊れた羞恥心"をキャビネットに締まった後、振り返って「あなたが望むのであれば」と言った。
 クレアの背は高かった。190cm。ざっとそんなところだろうか? それに増してクレアの身体はとても痩せていた。立ち上がったクレアは、まるで樹木のようだった。その立ち姿は、しなやかさと強さを同時に感じさせた。

 私は"羞恥心"を扱う代理店で働いていた。この仕事がそれほど好きではない割りに、長く続いている。技術者からの私への信頼は厚かった。それは私に人並み以上に仕事への情熱があったと言うよりも、単に私が人並み以上に我慢強い性格であったと言うことだった。
 クレアは最も有能な技術者だと言われた。彼女の修復は完璧だった。ほとんど全ての"羞恥心"を傷一つ無いほどに修復した。依頼者は、どんな高額の費用を支払っても彼女に修復を依頼した。我々の代理店においても彼女の売上高は常時トップだった。代理店はまるで腫れ物を触るように彼女に接したが、(多くの技術者がそうであるように)彼女の扱い難さもまたトップクラスだったのだ。
 多くの担当者が彼女に泣かされ退社して行った。そして、ついに私の順番が回ってきた。1年前のちょうど今頃の事だった。

 彼女がオフィス兼ファクトリーとして使っていた戸建ての家は、市街地から数十分ほど車を飛ばした郊外の住宅地にあった。周囲を鬱蒼とした樹木に囲まれた平屋の広々とした家屋だった。その窓と言う窓は、厚手の真っ黒なカーテンによって締め切られていた。昼間でも暗い作業場に置かれた大型のデスクには、強力な光を発する卓上ライトが幾代も設置されていた。クレアは闇に浮かび上がる光の渦の中で、ピンセットを繊細に動かした。その集中力は鬼気迫るものがあった。そこには妥協と言うものが存在しない空気が満ちていた。そして彼女は、それ以外でも妥協を許さなかった。

 クレアの要求は、執拗で病的なほどだった。彼女は依頼者の出生から現在に至るまでの経歴を全て調査させた。さらに年収・不動産の有無・配偶者の有無また離婚歴その他の異性関係・子供の有無またその人物像・交友者の経歴と人物像・両親の経歴と人物像・財政的な余裕・周囲の評価・趣味・酒量・食事の嗜好・疾病歴・犯罪歴・ペットの有無またその種類まで、調査の依頼は執拗に続けられた。担当者の調査に、一つでも漏れがあれば、彼女は大声で罵倒し、ファイルを投げつけた。

 私はクレアの罵倒に辛抱強く耐え、彼女の依頼を細かくリストアップし、ケース毎の変動も考慮に付け加えた。依頼者との面談を繰り返し、周囲の調査も徹底した。データベースの項目は増え続け、ファイルは膨大なものになっていった。一件の依頼に対して3ヶ月間を調査に当てた。経費は莫大に増えたが、依頼者がクレアに支払う契約料もまた莫大な金額だった。その経費を差し引いても代理店には充分な利益が残った。そしてクレアにも充分な情報をもたらした。彼女が私を罵倒する数は、日を追って減り続け、半年を過ぎた頃になると彼女はファイルを手にして満足の笑みを浮かべるようになった。
 私はクレアの信頼を得た。そして、その日から我々は少しずつ近づき始めた。

 長く代理店に勤務している者でも、クレアの素性は知れなかった。彼女が何処に住み、何処から来たのかは謎だった。その素晴らしい技術力と高い背丈が彼女を知り得る全ての事柄だった。
 私は何の才能も無い、ただの外交員だった。10年ほど前に妻と離婚してからは一人で暮らしていた。40歳を過ぎた今、"気ままさ"と引き換えにしてきた物が思い起こされた。多くのものを失って来たのだと今更ながら痛感していた。


「あなたが望むのであれば」と決まってクレアは私に言った。

 彼女の担当になって半年が経ち、彼女が私の仕事を認め始めると、彼女は物静かな微笑を私の前で見せるようになった。依頼者の説明と"壊れた羞恥心"の引渡しが終わると、私とクレアは一言二言世間話を交わすようになった。ある時、思い切って「君に時間があるのなら、お茶でも一緒しませんか?」と誘ってみた。彼女は少し考えた後で「あなたが望むのであれば」と私に言って小さく微笑んだ。

 クレアは外出する事は拒み、オフィスの奥の部屋にある小さなキッチンに私を案内した。キッチンにも黒いカーテンが引かれ、室内は薄暗かったが、彼女は小さなテーブルに面したカーテンを10cmほど開いた。キッチンには細長い光の帯が出来た。我々は、その光の帯を挟むように向かい合って座った。
 クレアはキッチンでコーヒーを入れ、私の前に置いた。向かい合って見るクレアは、それまでより随分若々しく見えた。彼女は私よりずっと若いのかもしれない。

「貴方は、パートナーとしてベストですよ。頼りにしています」クレアはコーヒーをすすりながら私に言った。私は素直に嬉しかった。それはクレアの直向な仕事ぶりに敬服していたからでもあった。
「"羞恥心"とは本来直す必要の無いものです。この世界で生きている限り大抵の人の"羞恥心"は壊れています。"羞恥心"を持ったまま生きる事は、とても困難な事だからです。ある時、その"羞恥心"を修復する技術が開発されました。それは、とても高度な技術力を必要としました。また、それに要する機材等も高額な代物でした。一般の人々には何の必要性も無い技術です。ただ、一部の富裕層にだけ"羞恥心"の修復が流行したのです。それらの人が、どうして競って"羞恥心"を修復したのかは、私には分かりません。彼等もしくは彼女達は大金を払って"羞恥心"を修復し続けています。"羞恥心"は直ぐに壊れてしまうからです。それは私には理解できない事なのです。

 私が"羞恥心"を修復する技術を専攻した理由は二つあります。一つはお金のためです。もう一つは、その技術が難易度の高いものだからです。私は、それに挑みたかったのです。ただ、幾つもの"羞恥心"を修復した後でさえ、その必要性が私には理解出来ないのです。それが私に残された課題であったような気がします。それから私は"羞恥心"の修復を依頼した人物を徹底的に調査する事にしました。その依頼者が、どんなに見栄っ張りで、強欲で、卑しい心の持ち主なのかを知りたかったのです。それで何も解明したりはしません。ただ、私がこの仕事を続ける上で、とても重要な事なんです。必要な事なんです。私は仕事上の根拠を明確にしておきたいのです。どんなに卑しい人物の心であっても」彼女は穏やかな口調で私に話してくれた。
 私は、その話に一言だけ付け加えた。「そうか。良く分かるよ。君には確かに必要な事なんだ。それじゃあ、私が何百人もの金持ち連中に会って気が付いた事を参考までに教えよう。それはヤツらが一人残らずクソッタレだって事さ」それで我々は一緒に笑い合った。
 テーブルに引かれた光の線が、私の指先に触れて、私は僅かな温もりを感じていた。


Gilbert O'Sullivan "Clair"
posted by sand at 17:00| 超短編小説C | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月12日

スイカ柄の夏

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Frank Zappa / Joe's Garage

 「おい。タコヤキ食いに行かん?」隣のクラスの友人が自転車小屋で声をかけてきた。「あ〜、俺、ウンコ漏れそうだから帰る。またね」
俺は自転車を飛ばした。ようやく梅雨が明けた。そのうち夏が来るだろう。「Accidents will happen 〜♪」俺は昨日レンタルしたばかりのElvis Costello and the Attractionsの『Armed Forces』のナンバーを口ずさんだ。調子外れのメロディーが雨上がりの濡れた大気の中に溶けていった。そう、それは1980年初頭。80年代のことだ。

 俺は家には戻らなかった。ウンコも漏れなかった。隣町の果物屋まで自転車を飛ばした。彼女は自転車を店の前で停め、店主に金を渡していた。彼女は財布に目をやりながら首を振って髪を少しだけ跳ね上げた。俺は道路脇からそれを覗き見て、意味なく顔を赤らめた。

「ああ。来てたか。スイカ買ったよ」彼女は俺を見て笑った。
「うん」俺はいつものように彼女の前では気の利いた事が言えなかった。

 俺は彼女が買ったスイカを下げて片手で自転車を押した。彼女の自転車も俺の横に並んだ。直ぐ横に彼女の横顔があると思うと俺は喉がカラカラに渇いた。少しだけ坂を上ると彼女の母親がいる病院が見えた。彼女の母親には意識がなかった。

 俺達は家族控え室に荷物を下ろすと白衣に着替えて集中治療室に入った。何台ものベットが並び、幾人もの意識がここには無かった。
彼女は昏睡状態の母親の横に座り、点滴で腐敗した腕をさすった。それから耳元に一言二言ささやいた。

 控え室に戻る階段で「今日は顔色良かったと思わない?」と彼女は俺に聞いた。「うん。昨日より良かったよ」俺は答えた。彼女が言うのだから間違いない。彼女が信じるものなら俺も信じられる。

 控え室には彼女の家族用に畳一畳分が割り当てられていた。ここには入りきれぬほどいるのだ。死を待つ家族が。

 彼女は共同の台所でスイカを切って皿に盛り、俺が座っている場所まで運んできた。
「食べなよ。今夜、兄ちゃんが帰ってくるんだ」彼女は彼女の父と交代でここで寝泊りしていた。彼女の兄は遠くの大学に通っていた。

「ん〜まじ〜な。ぬるいね」彼女はスイカを頬張って顔をしかめた。
「うんん。美味しいけど」スイカは確かに温かったが不味くは無かった。俺は頬張れるだけ頬張って種を吐き出した。

 彼女は一切れ食べ終わっても種を一粒も吐き出さなかった。
「ん? 種出さないんだ」俺は不思議に思った。
「うん。もうね。何でも良いから私のものにしちゃいたい気分なんだ。なんだろ? なんだろね? 捨てたくないんだよ。この先にある何もかもをね」
 彼女はそう言って二切れ目のスイカを頬張った。時々口を止めて、祈るように種を飲み込んだ。種が彼女の喉を通過する時、彼女の眉間に険しい皺が寄った。俺は彼女のその姿を見ていると胸の奥からこみ上げてくるものがあった。
 
 俺には分からなかった。人が死ぬ事の意味や。彼女の苦しみがどれほどの物なのかが。
 彼女を知れば知るほど、彼女の境遇を知れば知るほど、彼女がどんどん俺から離れていくように感じられた。俺は何も知らなかったし、何も知らされなかった。
 ただ俺は彼女を追いたかった。いつか彼女に追いついて、彼女の肩を抱ける日が来る事を信じたかった。

 夏の初め。まだ蝉の鳴き声が鮮やかさを持って耳に届く頃に彼女の母親は死んだ。

 告別式で目にした彼女は跡形も無く壊れてしまっていた。それまでの彼女が持っていた何もかもが、そこにはなかった。その時の彼女には俺の顔や声さえ何の意味も持たなかった。そして彼女はその日以来俺の前から姿を消した。母親の実家で療養することになったと彼女の親族から聞いた。

 その夏が終わり。秋が過ぎ、年が暮れても彼女は戻らなかった。受験が終わり、卒業の日を迎えても彼女は戻らなかった。俺は受験に失敗し、偏差値の低い地方の大学に進学した。大学のある町に引っ越す日。俺はかって彼女が住んでいた家のポストに新しい住所と『その時が来たら会いたい』とだけ書いた手紙を投函した。

 俺は生まれてずっと暮らしてきた町を離れた。俺は本当に彼女から遠くに、ずっとずっと遠くに離れようとしていた。それは俺をそれまでより不安定で屈折した人間に変えていった。
 俺は人と滅多に話さなくなり、自宅にこもってノイジーでアバンギャルドな音楽ばかりを追い求めた。PIL、ポップ・グループ、リップリグ・パニック、キャバレーボルテール、サイキックTV、バウハウス、ジョイ・ディビジョン。それらの混沌とした音を暗い部屋で聞き続け、自分を追い込み、やがて壊してしまいたいと俺は願った。

 あれから1年ぶりの夏がやってきた。俺は暗い部屋から転がり出て、久しぶりに日の光を浴びた。その町にも蝉の鳴き声が約束通り届けられていた。俺は青白い顔をして商店街を歩き回った。やがて八百屋の店先にスイカを見つけた。俺はあの日、彼女が下げていたスイカを懐かしく思った。
 スイカを買って下宿に戻った。部屋は急な階段を上った2階にあった。カーテンを開け、少し掃除してからスイカを切った。窓を開け、窓枠に腰掛けてスイカを頬張った。あの日のスイカのように生ぬるい味がした。俺は窓の下の道路に目がけ、種を吐き出した。種は熱くなったアスファルトにぶつかって飛び跳ねた。
「おい! 種を捨てるなよ!」下から女の声が聞こえた。俺は慌てて道路を見下ろした。
 少しやつれた顔をした彼女が立っていた。顔には大きな笑顔が浮かんでいた。俺はいつものように気の利いた事が言えないのは分かっていた。なにしろその日は感激で胸まで詰まっている。
 俺は震える声で馬鹿馬鹿しいほどの返事をスイカみたいな大きな笑顔の主に返した。

「やあ。また会え種」

 その日、その時。俺達の新しい夏が芽生えようとしていた。とても退屈な時代の、とてもとても退屈な年頃の事だった。


Frank Zappa - Watermelon in Easter Hay
posted by sand at 18:09| Comment(4) | TrackBack(0) | 超短編小説C | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月10日

タコの惑星

okuto.jpgsyabu.bmp
Gentle Giant / Octopus

 俺と助手のオサムが乗る宇宙船は、タコの惑星に到着した。

 宇宙船の窓からは、大海とそれに接するゴツゴツとした岩場が見えた。見渡す限りの岩場には無数のタコが(おそらく億単位)ビッシリと隙間なく張り付いていた。

 俺はオサムに準備を急がせた。
「準備はどうだ! オサム?」
「OK!教授。乗り込みましょう!」

 俺は興奮で武者震いしながら宇宙船の扉を開け、タコの群れの中にに飛び込んで行った。機材を抱えたオサムが後に続いた。

「ハローハロー。私達地球から来ました。王様に会いに来ました。王様どこですか? 私達フレンドで〜す」俺はそこらに転がってるタコ達に聞いてみた。そう、この惑星は一匹の王様によって統治されていたのだ。王の名は『ピエール・タコ3世』と呼ばれた。

 タコ達のダラダラした道案内に従って、岩場を進むと小高い岩の上に体長1.3倍の大きめサイズのタコがグッタリしていた。
「どうやら、あのタコが『ピエール・タコ3世』のようだぞ。いくぞ! オサム!」俺は興奮で心臓がバクバク鳴り出した。アドレナリンが大量に噴き出しているのが分かった。

「ハローハロー。ピエール。私達、地球から来ました。友好、友好。私達フレンドで〜す」俺は興奮で震える手で『ピエール・タコ3世』に握手を求めた。タコのピエールは、大きめサイズの蛸足をノロノロした動きで差し出したのだった。
 俺は「むんず」とピエールの蛸足を掴み取った。
「よっしゃあああ! 捕獲したぞ!オサム!」俺が叫ぶとオサムは俊敏な動作で背負っていたバックから「カセット式のガスコンロ」「鍋」「ミネラル・ウォーターの瓶」を取り出し、鍋に水を注ぎ、ガスコンロに火をつけた。さらにバックから「まな板」と「包丁」を取り出し、俺に手渡した。「はいよ!」俺は一声かけてピエールの蛸足をトントントン!と小気味良い包丁さばきで、ぶつ切りにしていった。「はいよ! 上がった!」俺がぶつ切りピエールをオサムに差し出すと「はいな!」とオサムは叫び、沸騰したお湯の中にポンポンポン!とリズミカルにピエール蛸足を投げ込むのであった。

 ぐつぐつピエールが湯気を上げている間に、オサムはポン酢を取り皿に注ぎ、柚子胡椒をタップリ入れて掻き混ぜた。「ハイハイ。煮え過ぎちゃダメ。煮え過ぎちゃダメよ」俺達はピエール蛸足をサッとお湯に通してポン酢に浸し、口の中に放り込んだ。「ホヒホヒ。アチチ。コリコリひて、おいひいね〜♪」「ホヒホヒ。アチチ。はすが、王のあひですな〜♪」俺達は岩場にアグラをかいて、タコしゃぶを腹いっぱい食い尽くすのであった。

 俺の興奮は頂点に達していた。『なんとも天晴れな男達だよな〜。見ず知らずの惑星にズカズカと上がりこみ、事もあろうに、その星の国王を国民の前でバクバク食っちゃう訳ですからね〜♪惚れ惚れするほど粋だよ』俺は自画自賛し自らを褒め称え、のぼせ上がるのだった。

 腹いっぱいタコを食い尽くし「もう食い飽きた。タコ見るのも嫌」という状態になると、俺のテンションは急速に落ちて行くのだった。猛烈な脱力感が湧いてきて物悲しい気持ちになってきた。「俺はこんな星まで来て、何をやってたんだ」「まったく何をのぼせ上がっていたんだ。大人気ない」俺を強烈な罪悪感が襲った。
「おい、オサム。俺なんだか力が抜けて…」見るとオサムも口からヨダレを垂らした腑抜けの顔をして呆然となっていた。
「きょうじゅ〜。 僕、腰が抜けてしまいました〜」オサムは目の下に隈を作って疲労の局地にあるようだった。

 俺は岩場に脱力したまま座り込んで、辺りを見渡した。タコの惑星は日が落ちて夕焼けに空が染まっていた。赤い夕陽を浴びて、テカテカと光り輝く無数のタコたちを見ていると、なんだか大量に放出された精液を見ているような気持ちになった。それで俺の気持ちは益々落ち込んで行った。

 俺は朦朧とした頭で身体を横たえた。もう座っている事さえ出来ないほど体がダルかった。「おい。オサム」俺はオサムに話しかけると、「もう今夜は勘弁してください」とオサムはダルそうに答えた。
「なにを勘弁するのかね?」と俺は再度オサムに聞くと、「もう今日は出来ませんよ。もう立ちませんから」とオサムは辛そうに答えた。
「なにが立たないのかね?」と俺はもう一度オサムに聞くと、オサムの返事はなかった。

 俺はダルい身体を、なんとか動かしてオサムの方を見やると、オサムの身体にはビッシリと無数のタコが乗っていた。それどころか顔の上にも無数のタコが乗り上げていた。「ああ。オサムは死んでしまったのかな?」俺はもうあまり考える事が出来なくなっていた。

 オサムから目を離し自分の身体を見ると、やっぱり無数のタコ達がビッシリと乗り上げていた。それからゾワゾワと顔面にもタコの吸盤が吸い付き始めた。タコ達は俺の顔の上にも容赦なく乗り上げてきた。やがて蛸足が口や鼻の穴や耳の穴や目の穴から、ズルズルと俺の中に入ってくるのが分かった。俺は穴と言う穴を蛸足によって責められ、恍惚とした快感に酔っていた。俺は薄れていく意識の中で最後の思考を結び合わせた。それはこんな言葉になった。

「避妊だけは、お願いしますね」
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2007年07月05日

ウィノナ・ライダー式ノコギリ

urii.bmpnoko.jpg

 金物屋の店主・篠田は、カウンターの上に4本のノコギリを並べて、こう言った。
「これがドリュー・バリモア式、これがベネロペ・クルス式、こいつがキャメロン・ディアス式、そして、これがウィノナ・ライダー式だ。さあ、どれを選ぶかね?」
 それから篠田は気味の悪い笑い声を付け加えた「シ、シ、シ」

 夏が来て僕は寂しかった。いや、正確には春も秋も冬も寂しかった。でもでも、夏の寂しさは、その比ではなかったのだ。僕は孤独で寂しくて、いつもいつも今にも泣き出しそうだった。
 僕は今年で40歳になる。

 僕の唯一の趣味は、自宅の庭木の手入れだった。この家は事故死した父さんと母さんが僕に残したものだった。僕はこの広すぎる家に一人で住み、スーパーの鮮魚売り場で働いていた。職場の男達は僕を間抜けだと馬鹿にした(実際、僕は頭の回転が遅かった)。そして女達は、あの人は真面目な人だからと決めつけた(真面目な人とは、なんと窮屈な存在なんでしょう)。僕は、どこにいても人から少しだけズレていた。そして歳を取ると、そのズレは少しずつ大きくなるような気がした。

 先日のこと。僕は樫の木の枝を落とそうとして、使い慣れたノコギリを折ってしまった。もう20年も使い込んだ『メリル・ストリープ式ノコギリ』だった。僕は酷く落胆してしまった。この『メリル・ストリープ式ノコギリ』は買った当初は繊細な切れ味だったが、歳を重ねるにつれ大胆でダイナミックな切れ味を見せるようになった。僕はその安定感を心底信頼していたのだ。僕は忌まわしい夏を前にして、もう一つ大きなトラブルを抱えてしまった。僕は父さんと母さんにお祈りして、そして泣いた。

「どう違うんです? この4本のノコギリは?」僕は目の前に並べられたノコギリを注意深く見つめながら、店主の篠田に聞いてみた。
篠田は妙な形の鼻髭を上下に震わせてから答えた。
「長所は、それぞれだ。どれも素晴らしい切れ味を持っている。それぞれが個性的で比べることなど出来ない。だが、短所はどれも一緒だ。それは、どれも使いにくいと言うことだ」篠田はそういった後、やはり「シ、シ、シ」と笑った。

 僕は、比較的線の細さが感じられる『ウィノナ・ライダー式ノコギリ』を買い求めた。

 自宅に戻ると樫の木に向かって、『ウィノナ・ライダー式ノコギリ』を試してみた。確かに、それは篠田が言うように使いにくかった。と言うより、とても不安定で今にも折れてしまいそうだった。試行錯誤の末、僕はそのノコギリのコツをつかんだ。僕はコントロールすることを止め、そのノコギリを自由にした。自由になった『ウィノナ・ライダー式ノコギリ』は、まるで妖精のように幹の周りを飛び回り、見事な形にその枝を切りそろえた。…ように感じた。

 僕はそのノコギリを気に入った。いや、もっとドキドキした気持ちになった。僕は僕だけの物を手に入れた。そんな気がした。

 『ウィノナ・ライダー式ノコギリ』はリビングの写真立ての横に置いた。僕はソワソワした気持ちで何度も彼女に視線をおくった。僕は一人で食事を取りながら、誰かの存在を感じていた。それは、とても素敵な人だ。僕は父さんと母さんが死んで以来、ずっと絶えていた感情を感じ始めていた。僕は狂ってしまったのかもしれない。でも僕はその感情を逃がしたくはなかった。
 僕は『幸せ』な気持ちが欲しかった。ずっと夢見てきた。ずっと、ずっと…。

 夜。僕はリビングの扉を開け、バルコニーに下り立った。月だ。なんて美しい月なんだろう。僕はその夜の月の美しさに打たれた。
 リビングで誰かが僕を呼んでいる。…ような気がした。『ウィノナ・ライダー式ノコギリ』が僕を呼んでいる。…ような気がした。
 僕はリビングに舞い戻ると彼女を連れてバルコニーに出た。ノコギリの歯は、月明かりを浴びて、黄色い幻想的な光を放った。僕はハッと息を呑んだ。奇跡だ。奇跡が起こった! 黄色い光を放つノコギリの歯に美しい女性の顔が浮かび上がった。…ように見えた。

 僕はノコギリの歯に宿る、素敵な女性に向かって手を差し伸べた。ああ、僕は幸せになれる。幸せになれるんだ。ありがとう。

 僕は父さんと母さんに心を込めて祈りを捧げた後、ノコギリの歯に唇を寄せて泣いた。

 黄色い光の中の女性が僕に手招きする。僕は彼女言う。
「ああ。もうすぐ行くから。遅れないで行くよ。それから踊ってくれるかい? 僕なんかと踊ってくれるかい?」


Winona Ryder − When We Dance(Sting)
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2007年07月03日

目玉焼きメーデー

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Bjork / Debut

 2階に住むオサムが俺を誘いに来た。今日は『目玉焼きメーデー』の日だった。

 オサムは『目玉焼きキャップ』をかぶってニコニコ微笑んだ。俺には『目玉焼きグローブ』を付けさせた。俺はグローブを手にはめて、オサムの後をズルズルと歩いた。

 オサムと俺は同じ職場の寮に住んでいたが、普段は全く顔を合わせる事はなかった。オサムが、どの課に所属しているのかも俺は知らなかった。ただ年に一度、『目玉焼きメーデー』の日だけオサムは俺を誘いに来た。会話の端々からオサムが左寄りの思想を持っている事は理解出来た。だが俺は左でも右でもリベラルでもノンポリでもなく、単にボンクラだった。俺は『目玉焼きメーデー』に漂う「空虚な連帯感」が好きだった(もっとも彼らに、そんな事は言わないが)。

 街で一番広い公園に俺達は集められた。誰かが「1万人くらいかな?」とつぶやいていた。俺には、そこにどれだけ人がいるのか分からなかった。中央のステージで、どこかの団体の幹部が祝辞を述べ始めた。その後に関係の深い政治家の祝辞が続いた。
 俺はその場に座り込んで、ぼんやりと空を眺めていた。ステージの上の空には『目玉焼き型の大きなアドバルーン』がプカプカと浮かんでいた。俺はその空に浮かぶ目玉焼きを眺めていると『ビョーク』(ミュージシャン)の顔が思い浮かんだ。俺は長い間、青空に揺れるビョークの面影を眺めていた。

 ブラスバンドがステージに登場して、さっきまで座ってアクビをしていた連中もお尻の砂を叩いて立ち上がった。参加者は『目玉焼きメーデーの歌』を歌いながら通りを練り歩くのだ。俺はこの歌が好きだった。この歌を大声で歌っていると、希望のような物が胸に湧き起こった(それは、とても希望とは呼べなかったが)。

 ブラスバンドが賑やかな伴奏を始めた。青空に花火が打ち上げられ、俺は周りの連中と声を合わせて、その歌を歌った。


さ〜殻を破れ〜♪

黄身を〜〜我等に〜〜〜♪

さ〜炎を燃やせ〜♪

黄身を〜〜我等に〜〜〜♪

さ〜蓄えを注げ〜♪

黄身を〜〜我等に〜〜〜♪

さ〜力を退けろ〜♪

黄身を〜〜我等に〜〜〜♪

さ〜和みを戻せ〜♪

黄身を〜〜我等に〜〜〜♪

さ〜明日を返せ〜♪

黄身を〜〜我等に〜〜〜♪


 俺は『目玉焼きグローブ』を振りながら通りをノロノロと歌い歩いた。俺はこの混沌とした世の中にあって、この空虚な歌を声を限りに歌い続けた。

 誰かが俺の肩を叩いて、その意味を尋ねたとしても、俺にはもう答える声が残されていなかった。俺はこの炎に包まれた世界の中で、声も出さずに弾け続ける事しか出来なかった。そうそう、フライパンの中の目玉焼きみたいなもんさ。いささか無理やりだけどね…


Bjork - Venus as a Boy
posted by sand at 16:35| Comment(3) | TrackBack(0) | 超短編小説C | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月23日

羽衣あられと"Rain Dogs"

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Tom Waits / Rain Dogs

 23か24才の頃、会社を辞めフラフラした毎日をおくっていた。
出来ることは何もなかった。借りていた部屋を引き払い、実家に戻った。そこで毎日、部屋の壁を眺めたり、近くの川まで散歩したりした。時々、親父の車を借りて、女の子とドライブに出かけた。どこまで車を走らせても、気持ちは盛り上がらず、暗い気持ちのまま女の子の髪を触って怒られたりした。
 少しは貯金があったので、子供の頃、行きつけだった玩具屋で戦車のプラモデルを買った。プラモの説明書を読んでいると頭痛がして、一つのパーツさえ組み立てる事が出来なかった。俺はこのまま何も出来ないまま終わるんじゃないかと考えると恐ろしくなって、布団に倒れ込んで泣いたりした。それで、そのまま朝まで眠っていた。

 親父とお袋は、そんな出来損ないの息子に何も言わなかった。親父とお袋は小さな化粧品店を経営していた。親父は勤勉で一日も休まず店を開けた。だが親父には商才がなかった。昔から金銭的に裕福だった事は一度もなかった。
 俺は、そんな親父をどう扱って良いのか分からなかった。親父とお袋が、その小さな店を心底大切にしてる事は、俺にも分かった。だが親父の口からそれ以上の気持ちは伝わって来なかった。
 俺はその店を継ぐべきなのかと思ったりしたが、気が重くなって直ぐに止めた。

 散歩先の川に面した公園にいた。ジャングルジムにもたれて見飽きた景色を眺めていた。お袋が小走りで俺を探しに来た。店の制服姿のお袋は黒ずんで汚らしかった。何故だろう? 子供の頃から、ずっと思っていた事だ。

 弟の所まで、奨学金の書類を届けるように頼まれた。急にその書類が必要になったようだ。俺には断る理由が何もなかった。もちろん気は進まなかった。俺はジャングルジムにサヨナラを言って、渡された書類を持ち電車に乗った。車で行くかと聞かれたが、俺は断って電車を選んだ。久しぶりに乗ってみたかった。弟の通う大学までは、3時間くらいかかる。俺は車窓を流れて行く景色に目をやりながら、久しぶりに良い気持ちになった。

 弟は俺と違って努力家だった。少しずつ力をつけて俺より遥かに良い大学に受かった。将来の夢もハッキリしている。俺はそんな弟を羨んだり、疎ましく思ったりした。

 弟は部屋で俺の来るのを待っていた。書類を渡したが、弟から礼の言葉はなかった。弟は俺に腹を立てているようだった。弟の正論は良く分かる。「苦労して大学まで出してもらって…」ってヤツだ。だが今の俺には何もかもが鬱陶しかった。
 俺は弟と音楽の話がしたかった。俺と弟は、中学生の頃から同じジャンルのレコードを集めていた。俺は部屋に上がり込んでレコードの棚を物色した。「なにか良いレコード買ったか?」昔のように俺は言ってみた。弟の返事はなかった。玄関先に立って険しい目つきをしたままだった。
 俺はしばらくレコードの背文字を目で追っていたが、バカバカしくなってやめた。そして腹が立った。玄関先まで行って、弟とにらみ合った。俺は弟の肩を拳で小突いて、部屋を飛び出した。暗い気持ちで駅までの道を歩いた。

 駅に着いても暗い気持ちは晴れなかった。俺は電車には乗らず、駅の構内にある小さな定食屋でビールを飲み、鯖味噌定食を食べた。店のテレビで巨人戦のナイターが中継されていた。俺はボンヤリそれを眺めながらビールを飲んだ。つまんでいた鯖味噌は少しずつ冷たくなっていった。

 ナイター中継が終わって店を出た頃には、陽は落ちて真っ暗な闇が広がっていた。駅の待合室に弟が座っているのが直ぐに分かった。俺の方から声をかけた。
「どうした?」弟はバツの悪そうな顔をしてコンビニの袋を手渡した。中にはケースに入ったカセットテープと"羽衣あられ"が一袋入っていた。
「トム・ウェイツの新しいアルバムだ。ロバート・クワインとキースがギターを弾いてる」弟はカセットテープの説明を付け加えた。"羽衣あられ"には触れなかった。
「キースって。キース・リチャーズか?」俺は聞き返した。弟はうなずいて「そうだ」と言った。それから弟は何か言いたそうな顔をした。俺は兄として男として、それ以上、弟に喋らせる訳にはいかなかった。

「帰ったら親父に頼んで店の仕事、手伝わせて貰うよ。あの店は俺が継ぐ。お前は自分のやりたい事をやれよ。じゃあな」俺は弟に、それだけ言い残して改札に向かった。振り返ったら弟が俺を見送っているような気がした。俺は振り返らず、小走りで改札を抜けた。

 ホームの一番端まで歩いて、真っ暗な闇に線路が溶け込む場所を眺めた。そして弟が何故か俺にくれた"羽衣あられ"を手に持った。それは本当に"ささやか"な重みだった。

 俺は一生かかって、この"ささやか"さを味わって行くんだと、その時、決めた。


Tom Waits - Downtown Train
posted by sand at 17:30| Comment(2) | TrackBack(0) | 超短編小説C | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月18日

音のないあめ

Only With Laughter Can You Win.jpg
Rosie Thomas - Only With Laughter Can You Win

 妻が後ろから追いついて来た。たくましい右腕に買い物袋を二つ提げている。もう片方の手には薄紫色の傘。今日は雨だ。長い長い日照りの後に細やかな霞のような雨が降った。

 「おいおい。荷物持てよ! 何、一人で帰ってるんだよ! ふざけるな!」妻はいつものように怒っている。ああ、そうだ。妻は四六時中、腹を立てていた。そして四六時中、誰かを案じていた。

 どうやら我々は二人で買い物に来ていたようだ。私は忘れっぽくなってしまった。そうなんだ。我々は歳を取ってしまった。私の目の前には女性がいる(たくましい二の腕にたくましい太もも。履き古されて傷だらけのサンダル。白髪だらけの頭髪はゴム紐で、きつく結わえてある)。
 かって私はこの女性に"恋"をした。まるで自分が紙屑のように燃え尽きてしまうほど、この女性を想った。もう20年も昔の話だ。

 妻は私に買い物袋を放り投げ、肩でゼーゼーと息をした。
「いやな。雨だね〜」妻は呼吸を整えてから歩き始めた。我々は雨の中を肩を並べて歩いた。私の右肩は手に持った買い物袋の重みで少しだけ傾いていた。
 細かい雨の雫が歩道を濡らし、私の泥だらけのスニーカーを濡らし、妻の傷だらけのサンダルを濡らした。我々は裕福ではなかった。人に自慢出来るような物は何も持っていなかった。時々私は、その事で自分を責めた。だが妻は…。妻はその事で私を責めた事は一度もなかった。理由は分からない。ただ妻はそうしなかった。

 薄紫色の傘の隙間に妻の横顔が見え隠れしていた。私はそれを覗き見しながら意外な感情に自分が陥っている事に気がついた。そういう感情は、いつもある訳ではない。ごくごく稀にやって来て、自分でもビックリしたり、恥ずかしくなったりする。そういうのは男にとって、ちょっと厄介な心情だ。女と言う生き物は、そんな心の揺れを敏感に察知して、ある種のハンデキャップを強引に奪い取ってゆく。

 どんなに否定しても、どんなに臆病になっても、どんなに誤魔化そうとしても、その日の妻はハッとするくらい綺麗だった。

「あのさ。帰りに喫茶店にでも寄らないか?」私は平静を装おうとしたが、語尾が震えてしまった。

 妻は直ぐにそれに気が付いて、勝ち誇ったような笑顔を返してきた。
「なにかしらね? なんなら優しくしてあげても良いわよ」妻は嘲るように笑いながら、そう言った。

「恐ろしい提案だね」私は少しずつ昔の自分を思い返していた。

「そうそう。背筋も凍る誘惑よ」妻はクスクスと笑い20年の月日を飛び越えようとしていた。

 雨は…。雨は気を利かせたのか音を消してしまっていた。それとも?
それとも我々は思いも寄らぬほど、近くにいるのかもしれない。息もかかるほど近くにいて、雨の音を締め出してしまったのかもしれない。


Red Rover - "Rosie Thomas"



久しぶりに超短会の投稿用に書きましたが、ぎこちない。もう少し手直しして投稿しようかな。しないかも。
posted by sand at 17:46| Comment(4) | TrackBack(0) | 超短編小説C | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月29日

帰ってきたクリスマス

 参加している超短編小説会さんの年末企画2006年超短編小説会年末祭に投稿した当方の駄文が戻ってまいりました。
管理人特別賞は、言わずもがなの大傑作「吸殻の風景」 sleepdogさんに決まったようです。もう全然、力が違います。お口あんぐりしてしまう傑作短編です。

 ま、そんな訳で私の駄文を掲載しておきます。描写が異常に荒いです。勢いだけで書いてます。とほほ…。
 今回のルールは、指定されたワードを含んだ小説でした。
以下のワードから5つ以上選んで書かれています。
ニヤリ・鶏・突破・東京・時計・嘘・人生・名前・空き缶・受信料・紅白・
クリスマス・ファイル・北海道・アイドル・てst

 では、今回のテーマはズバリ演歌でした。まるで、たいしたことないけどね。ま、下手でも文章書くのは面白いし、超短編小説会さんってフォーラムそのものが面白いです。

クリスマスが託したもの


 五年前に死んだ、あの人から手紙が届いた。
『元気で暮らしているか? 苦労してるだろ? 本当に、すまん。今はまだ俺は生きている。そしてこの手紙を書いている。俺が死んで五年経ったら、この手紙をお前宛てに投函してくれるように知り合いに頼んだ。どうしてそんな事をするのか、お前は疑っているだろ?だが、お前の事を思うと、こんな方法しか考え付かなかった。クリスマスの日にお前に渡したい物がある。来てくれるか?』
 手紙には、そんな文章と見知らぬ街の住所が記されていた。あの人の字だ。あのバカ、どうして死んでまでも私を苦しめる。私は手紙をズタズタに引き裂いてゴミ箱に投げ捨ててやった。

 あの人はバカみたいにお人好しで、バカみたいに人に愛されて、バカみたいな早さで死んじまった。癌だった。気がついた時はもう手遅れってやつだ。それでも、あの人は私に辛そうな顔は一度も見せなかった。『すまない。すまない』何度も何度もそう言って、さっさと死んじまった。私はどうしたらいい? 幼い子供を抱えて、私はどうすりゃいいんだ?

 だいたいクリスマスに休みなんて取れやしない。朝から晩までフルタイムで働いて、それでも生活は一杯一杯だ。『俺が死んだら早いうちに再婚してくれ』あの人は死ぬ前にそんな事を言った。冗談じゃない! そんな右から左に飛び移れるか! それに私は、あの人が忘れられない。あの人じゃなきゃダメなんだ。どうして死んだんだよ。バカ。
 そりゃ私にも言い寄ってくる男の一人くらいいるさ。職場に年下の男がいてね。名前は鈴木ってんだ。優しくて真面目でね。私なんかを好いてくれてるのさ。この前プロポーズされたんだ。でもダメさ。あの人の顔がちらついて、まともに相手なんか出来やしない。あの人のせいだよ。あのバカの仕業さ。

 クリスマスのスーパーマーケットは、朝から引っ切り無しに人が押し寄せて、大忙しだったよ。私はいつものようにレジ係をやってたんだ。その日は気分が優れなくてね。お昼のピークを回った頃にはメマイがしてきた。それで休憩を貰って控え室で一眠りしてたのさ。そしたら、あの人の声が聞こえたような気がしてね。私は飛び起きたよ。あの人が呼んでる。ここをクビになっても構わない。生活なんて、どうなったって良い。やっぱり、あの人に会いに行かなきゃ。
 私は制服のまま職場を飛び出してバスに乗ったよ。手紙に書かれていた住所を忘れる事が出来なかったんだ。バスから電車に乗り換えて、東京を飛び出した。行った事もない港町。そこに、あの人が待っている。バカげた話しだよ。嘘みたいな話さ。でも私は信じる事しか出来なかった。

 電車は港町に着いた。可笑しな事に私はその街を知ってたんだ。見知らぬ港町のはずが見覚えがあったんだ。それで、私はどこに行けば良いのか直ぐに分かったんだ。海岸通にあるレストラン。そこには風見鶏のあったはず。海岸線を小走りで進むと風見鶏が見えてきた。あそこだ。
「おい!」海の方向から誰かが私に声をかけてきた。海岸に男が立っている。私は目を疑った。あの人だ。あの人は生きてたんだ。私は持ってたバックを放り投げて、あの人の元に駆け行ったよ。それから両手を広げてね。あの人の胸に飛び込んだ。暖かい、あの人の胸にさ。
「バカ! バカ! 生きてるなら、どうして知らせない! 寂しかったんだから! 寂しくて死にそうだったんだから!」
「すまない。すまない」あの人は五年前と同じ言葉を繰り返した。

「なあ。聞いてくれ」あの人は泣きじゃくる私の両腕を掴んで顔を覗き込んだ。
「俺は死んでる。これはお前の夢の中なんだ。俺はお前の夢の中に忍び込んだ。俺が手紙を出したのも、お前が手紙を受け取ったのも、お前の夢の中の出来事だったんだ。いいか。よく聞け。俺は大丈夫だ。何も心配するな。お前はお前の人生を生きなきゃならない。死人には何の力もないんだ。いいか。目が覚めたら俺から最後の贈り物が待っている。お前は、それを受け取らなきゃならない。俺はお前を永遠に愛している。だからお前はそれを受け取る必要があるんだ。いいな」それだけ言って、あの人は跡形も無く消えちまった。
 ひどいじゃないか。あんまりだよ。私はまた一人ぼっちだ。私は泣きわめいた。
「バカ野郎〜〜! クソ男〜〜! 死んじまえ〜〜!」そして私は意識が薄れていった。

 目を覚ますと職場の控え室で寝ていた。「大丈夫ですか?」誰かが私の顔を覗き込んだ。鈴木さんだ。心配して見に来てくれたんだ。それから私はしばらく鈴木さんと見詰め合っていた。どうした事だろう? あの人の顔がちらつかない。そして、もっと驚いた事に私の中で何かが変わろうとしている。何かが芽生えようとしている。私の中に大輪の花が、今にも咲き誇ろうとしている。
「この前の事。もう一度、考え直してくれませんか? 私は貴方が……」私は鈴木さんの言葉を制して「もう少しだけ待って。もう少しだけでいいから」と告げた。

 私は瞳を閉じて、死んだあの人に声をひそめて話かける。
「バカね。本当にお人好しなんだから。でも有難く受け取る事にするわ。あなたが託した恋ならば」


☆本日のオマケは、はるみちゃんだ! 演歌は苦手だけど、この曲はジャンルを超えた名曲だと思うな〜。泣いてくれ〜!

都はるみ - 北の宿から
posted by sand at 17:34| Comment(5) | TrackBack(0) | 超短編小説C | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月20日

Carolina in My Mind

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James Taylor / James Taylor

 先輩が僕に電話をかけてきた場所は空港だった。
「俺、カロライナに行くから」
「旅行じゃ……ないんですよね」先輩は長い間カロライナで生活する夢を抱いていた。
「そう。帰らないつもりだよ」
「どうするの? 奥さんと子供?」
「どうもしない。どうも出来ないから、どうもしない」先輩は、そんな人だ。出来ないことは、やらない人だった。

「おまえから話してくれよ。頼むよ」先輩は、最後まで我がままを言った。先輩は、そんな人だ。
「先輩……お元気で。戻って来ても虐めたりしないから」
「ありがとう。でも戻らないよ。俺、中途半端なまま終われないから」

 僕は玲子さんに、その電話の内容を話した。玲子さんは先輩の奥さんだ。
玲子さんは話を聞くと肩をすくめて、目を丸くした。それだけだった。玲子さんは先輩の何倍も金を稼いだ。子育ても家事もそつなくこなした。美人で賢くて……まぁ、そんな感じだ。
 僕は先輩からのメッセージを伝え終わると、玲子さんと寝た。僕らは、ずっと前からそんな関係だった。先輩は僕らの仲に気がついていたかもしれない。だからと言って何も起きなかった。先輩は夢だけを追っていた。

 先輩と玲子さんには一人娘がいた。アミって名前で小六だった。幸いな事に先輩には似ず、頭と勘の良い子だった。
 その日、僕は夕食に招待された。いつもは先輩が一緒だったけど、もちろん、その日はいない。僕は二人の女性に囲まれて夕食を口にした。アミちゃんは僕と母親の関係に多分気が付いている。でも、それを気にかける素振りは見せなかった。大人なのだ。先輩や僕よりもずっと……。

 食事が終わるとアミちゃんは、すぐに自室に引っ込んだ。僕と玲子さんはキッチンのテーブルに座ってダラダラとビールを飲んでいた。
「カロライナって、どのあたりだったけ?」玲子さんは遠くを見るように聞いてきた。
「さ〜。東側でしたっけ? 北と南がありましたよね……ネットで調べましょうか?」
「ううん。アミから地図帳を借りるわ。やっぱり地図帳よ。何はなくともね」玲子さんは腰を上げてアミちゃんの部屋に地図帳を借りに行った。だけど戻って来た時は手ぶらだった。

「なかった?」
「ううん。今使ってるから後で持ってくるって?」玲子さんは、そのまま食器を片付け始めた。
 僕はリビングのソファに座ってテレビを見ながらビールの続きを飲んだ。しばらくテレビに見とれて、ぼんやりしていた。ふと気が付いて振り返ると後ろにユミちゃんが立っていた。「あの人が、あんたに渡せって」彼女は地図帳を差し出した。玲子さんはキッチンで洗い物を続けている。僕は地図帳を受け取って「ありがとう」と彼女に言った。

 それから意外な事に彼女は僕の向かい側のソファに腰を下ろした。僕は少し緊張しながら地図帳を広げてアメリカが載ってるページを探した。久しぶりの地図帳で、なかなかアメリカが出てこない。
「ダメね。貸して」アミちゃんはイライラした口ぶりで僕から地図帳を取り上げた。「ココとココ」彼女はサウスカロライナとノースカロライナの位置を指差した。「ああ。ここか。ありがとう」僕は地図帳を覗き込んだ。先輩はどの辺りを歩いているんだろう? ユミちゃんも僕と一緒に地図帳を覗き込んでいる。僕と彼女は顔を寄せ合っている状態だった。それからユミちゃんは僕の耳元に、小さな声で話しかけた。
「あの人。ああ見えて弱いんだよ」あの人とは玲子さんの事だ。「うん。わかった」僕も小声で返事をした。ユミちゃんは顔を上げると少し不安そうな顔をした。僕は笑顔で彼女にささやいた『大丈夫。大丈夫』。
 彼女は、ほんの一瞬だけ微笑んだ。それから、すぐに怒ったような顔に戻って僕から地図帳を取り上げた。地図帳を胸に抱きかかえると、ツンと澄ました顔をして自室に戻って行った。

 しばらくして玲子さんがキッチンからリビングにやってきた。
「地図帳は?」
「ああ。持って帰ったよ」
「ふ〜ん。あなた見せてもらったの?」
「うん。いろいろ見せてもらった」僕は意味深に微笑んでみた。

 玲子さんは首を傾げながら僕の隣に腰を下ろして、飲みかけのビールを口にした。
 僕は玲子さんの髪に顔を押し当てて「僕なら君を守ってやれる」と言ってみた。玲子さんは恐ろしいほど冷たい視線を僕に注いだ後、「悪いけど、酔っ払いにかまう趣味はないの」と強い口調で言った。それから僕が飲んでいた缶ビールを取り上げると、ツンと澄ました顔をしてキッチンに戻って行った。

 僕は、それから先輩の事を想った。この気高い二人の女性に囲まれた先輩の日々の生活を想った。それは同情とも非難とも悔恨とも違う。ただ想っただけだ。


James Taylor - Carolina in My Mind
posted by sand at 16:39| Comment(3) | TrackBack(0) | 超短編小説C | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月17日

Hammer Horror(燃焼)

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Kate Bush - Live At Hammersmith Odeon

 その窓の向かい側に何本もの煙突が立ち並んでいるのが見えた。どの煙突からも真っ黒な煙が、灰色の空に向かって高く高く立ち昇っている。私はそれを彼女の部屋のブラインド越しに眺めていた。

 通りに目をやると車は一台も通ってはいなかった。ただ、タキシードに蝶ネクタイの紳士が砂袋を抱えて交差点を渡っているのが見えた。彼は重そうに何度も砂袋を持ち替えている。砂袋の、どこかが破れているようで彼の通った後には細い砂の線が鮮明に引かれている。
 私はブラインドに顔をくっつけて、その砂の線を目で追って行く。

「砂売りね」いつの間にか、彼女は私の横に立っていた。
「あなた。最近、砂を買った?」彼女は窓の外を眺めながら私に聞く。
「いや。買っていない」

「そう。私は先週買ったわ。とても上質よ。どう? 試してみる?」
「ああ。そうだな」私は彼女の誘いを受ける。
 彼女は、私の手のひらに一握りの砂を注ぎ入れる。砂は手のひらを通って身体の奥深くに沈み込んで行く。身体の奥をサラサラと音を立てて流れ落ちる。やがて内臓のあちこちに降り積もって行くのが分かる。
「良い砂だ」
 私は、久しぶりの砂の感触を味わう。彼女は後ろから覆い被さるように、両腕を私の身体に回す。湿った息を耳元に感じる。彼女の吐く息はネットリと濡れていた。

 彼女は淫らな姿で、私を導いた。私は手持ちの理性をカットグラスの中に投げ入れ、彼女の甘い蜜を湛えた花芯へとギシギシと軋みを上げる私自身を突き抜いた。彼女の陰部からジョブジョブと湿った砂が零れ落ちた。それは抜け落ちた浴室の毛髪のように行き場も無くベッドシーツの上を這い回った。彼女は幾度となく絶頂に達し、苦悶の声を上げた。
『ぬおおおおおおおぅぅ……ぬぬぅぅぅぅぬぅぅぅ』

 射精した後、私は、いつしか眠りに落ちていた。
目を覚ますと私は彼女と並んでベットの上に寝ていた。彼女は横でタバコを吸っている。強いメンソールの香りがツンと鼻を刺激する。
 彼女の胸の上に乗せられたガラスの灰皿は、照明の光を反射してキラキラと輝いた。外は、もう日が落ちてしまったようだ。窓には陰鬱な暗闇の姿がブラインドの狭間で見え隠れしている。

 私は彼女の左耳に気を取られる。
それは、まるで綿菓子のようにフワフワと頼りなく儚い存在に見えた。私は、そばに置いてあったライターで彼女の左耳に火をつける。左の耳は、青い炎に包まれて燃え上がった。
 彼女は、少しだけ驚いた顔をしたが、その後『ふん』と鼻で笑いタバコを吸い続けた。私は次第に燃え落ちて行く彼女の左耳を眺めていた。青い炎は、粉々に砕け散ったガラス窓のように美しく、胸を強烈に締め付けられるほど切なかった。
 やがて青い炎は力を弱め、この世の終わりを告げるように侘しく消えてしまった。私はすすり泣くように、その炎の終焉に想いを馳せる。

 彼女は左耳の燃えカスを、ちょんと摘むとガラスの灰皿に投げ入れた。
「おしまい」彼女は冷たく笑って言った。

 私はベットから立ち上がると「どこにある?」と彼女に聞く。
「チェストの上から2段目」彼女は答えた。
 私は引出しを開け、中から真新しい左耳を取りだし彼女に差し出す。彼女は私の手から左耳を摘み上げ、元の場所にソッと差し入れる。

「どう? どんな感じ?」私は新しい左耳を見つめながら聞く。
「うん。良く聞こえるわよ。良い感じ」彼女は満足そうに、うなずいている。

 何もかも腐ってしまった。世の中も。人も。
私は、彼女の新しい左耳に熱い舌を這わせる。



☆昔書いたのを投稿用に加筆しました。今回のテーマは『燃焼』でした。
↓おまけ

Kate Bush: Hammer Horror (Hammersmith)
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2007年01月13日

Andromeda Heights(接続詞の探し方)後編

A Prisoner Of The Past.bmp
Prefab Sprout / Prisoner of the Past

 裏庭に回ると植え込みの影に人が立っているのが分かった。彼女だ。冬の星座に照らし出された彼女は、この世の者とは思えないほど綺麗だった。僕は彼女の横に寄り添った。
 彼女は僕の顔を見ることもなく、夜空を見上げたまま話し始めた。それは彼女の身の上話と言えるものだった。ここでの生活、病気の具合、家族の事、友人の事、学校の事、将来の夢、そして不安……。彼女の話は途切れる事なく続いていった。やはりそれは一方的で会話と呼べる種類のものではなかった。
 僕はしばらく彼女の話に耳を傾けた後、彼女の話の中には決定的に足りない物がある事が分かった。
 彼女の話には『接続詞』が、まったく含まれていなかった。

 彼女の話は、ふわりと舞い降りるように始まり、次第に熱を帯び、感情の昂ぶりを見せ、やがて沈静し、最後は沈み込むように消えていった。それらが波を打つように繰り返された。だが一つ一つの話には、不可解なほどに関連性が見られなかった。彼女の身体からは無数の糸が振り撒かれるのだが、それらはどれもブツ切れで、そのどれとも繋がってはいなかった。それ故、その話が彼女を理解する為ものにはなりえず、益々、不可解な存在へと導いているのだった。彼女は話せば話ほど、理解を求めれば求めるほど、彼女以外の人間との接続が不可能な状態だった。
 彼女の苦悩や不安や夢は、塵のように飛散するだけで、他の誰とも結び付くことは無かった。それは、とても残酷な事のように思われた。

 長い時間、話し続けた後に、彼女は疲れたように無言になった。僕は、いくらかホッとした気持ちで星空を見上げた。夜空に瞬く星々は恐ろしいほど難解な構文を眺めるように複雑に絡み合っているように見えた。もつれ合っているように見えた。
 気がつくと彼女の顔は、僕の胸の中にあった。

 それから彼女は、初めて僕に意見を求めた。
「私の頭の中は壊れてしまったの?」
僕は、その言葉を聞いて胸がカッと熱くなった。
「違うよ! それは違うよ! 君は『接続詞』を失くしただけなんだよ。君も僕の母さんも『接続詞』を見失っただけなんだ。そして、それはきっと見つかるよ! いつかきっと見つかるよ!」僕は、僕の胸の中で震えている彼女に、そう言った。でも、それは真実じゃない。真実は、そんなにロマンチックでも夢見心地でもない。彼女はシリアスな病気を抱えているんだ。残酷なほどに彼女の一生を食い尽くそうとしている凶悪な病気をだ。彼女も彼女の家族も、その重みを一生背負い込んで生きていくのだ。僕の母が、そうであるように。

 それでも僕は、それを信じたかった。彼女や僕の母が見失った『接続詞』が、この星空の中に紛れ込んでいる事を。この入り乱れた星屑の中で見失ってしまった事を。
そしていつか、この星空の混乱が解けた時、それは彼女たちの元へと返されるのだ。

 その時、それは僕らを堅く結びつけ、『そして』

 

☆長い!読むのは辛い。書くのは楽しいんだな〜これが。興味のある方だけでも。
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Andromeda Heights(接続詞の探し方)前編

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Prefab Sprout / Andromeda Heights

 僕は気乗りのしないまま、夜の病院に忍び込んだ。『どうせ誰かに見つかるはずだ』と僕は考えていたが、あいにく、その日は誰にも見つかることがなかった。裏庭に回ると植え込みの影に人が立っているのが分かった。
 彼女だ。冬の星座に照らし出された彼女は、この世の者とは思えないほど綺麗だった。実際、彼女は違う世界に住んでいた。僕らが暮らす世界とは、僅かに違っていたのだ。

 精神に疾患を抱えた母の入院生活は、実社会とは隔離されたものになった。母は拘束されることさえ無かったが、外出等を厳しく制限された規則正しいサイクルに身を置くことで社会復帰を目指していた。母の入院した病院は、小高い丘の上にあり四方を緑の芝生に囲まれていた。僕は授業が休みになると、都心部から離れた場所にある病院まで、列車を乗り継いで面会に訪れた。母との面会は気の重くなる務めではあったが、僕にはそれとは別に、ささやかな楽しみがあった。母といつも一緒にいる入院患者の女の子がいたからだ。彼女は恐らく僕と同年代で(少し年上かもしれない)まるで人形のような美しい顔をしていた。何もかもが選りすぐられたように見事に整っていた。長い睫毛、大きく見開かれた瞳、ほっそりとした高い鼻、薄く哀しみを湛えた唇。だがそれらが、あまりに整いすぎているが故に、彼女の美貌は現実から遊離しているかのように感じられた。

 彼女には表情というものが見当たらなかった。いつも無表情で煙草を吸っているだけだった。
僕が母の面会に訪れると彼女は決まって母の隣に座って煙草を吸っていた。「やあ元気かい?」僕は暗い声で母に声をかける。「ああ、元気だよ……」母はまるで魂の抜けた死人みたいな表情で、他人事のように答えた。僕はその顔や声を目の当たりにすると、やり切れない気持ちになった。
それから僕らは、ひどく間延びした臨場感の無い面会を神妙にこなして行った。母は朦朧とした表情で煙草を吸い続け、時折、思い出したように僕に話しかけた。僕はそれらの質問に辞書を引くように慎重に言葉を選んで答えを返した。母を傷つけたくはなかった。というのも、それは新たな問題を僕自身が抱えることになるからだ。僕は、母はともかく、母の病気にはこれ以上関わりたくはなかったのだ。

 彼女は母に寄り添うように座って、僕らの会話をぼんやりと聞き入っているようだった。僕は彼女の美しさにドキドキしながらも、どこかで怖さを感じていた。彼女の美貌に対して。彼女の病気に対して。
彼女は終始無表情ではあったが、そのどこかに僕に対する好意のようなものを感じていた。それは彼女の目の動きや顔の表情や指先の動きに表れているような気がした。自惚れかもしれないが、僕はその事に僅かな優越感のようなものを抱いていた。彼女のような美人は僕には縁遠い存在だったからだ。
そして、それは程なく現実のものとなった。極めて非現実な現実となった。

 それは母がトイレに立ち、僕と彼女が二人きりになった時に起こった。
「私、あなたが好き」彼女はいつもの無表情で、そう切り出した。僕はとても狼狽した。それは彼女の病気が言わせているのか、本来、彼女はそういうタイプの女性なのか判断出来なかったからだ。もちろん僕は安全策を取った。「どうも、ありがとう」僕はそう言って彼女から視線を外し、テーブルに置かれたコーヒカップを眺めた。彼女の言葉はそれ以上続かなかった。そして僕もそれ以上の返事は用意していなかった。

 二度目にそれが起った時、僕と彼女は並んで歩いていた。
母との面会を済ませた僕は、バスの停留所に向かっていた。彼女は後から小走りにやってきた。「歩ける?」彼女は僕に追いついて言った。僕はうなずいた。
 病院の敷地内にある緑の芝生を、僕らは並んで歩いた。「良い天気ね」彼女は歩きながら空を見上げた。1月の冷たい風が彼女の長い髪を揺らしていた。僕には彼女と話すべきことは何もなかった。僕はただここに来て、そして帰って行くだけなのだ。その気持ちと相反するように僕は彼女と歩いていたかった。妖精のような美女と、ただ歩いていたかったのだ。冬の陽射しを受けた彼女の横顔は薄っすらと微笑んでいるように感じられた。彼女は、ごく普通の女の子だった。実際、そうなのだ。実際、夢みたいに魅力的な女の子だったのだから。

「今夜10時に、この場所で待っている。あなたと星空が見たい」彼女は、それだけ言い残すとスタスタと病棟に戻って行った。それはあまりに突然で、あまりに一方的であった。僕は少し気分を害しながらバスに乗った。当然、このまま帰るつもりだった。僕は星空なんかに興味はなかった。
それでも時間が経過するにしたがって、怒りは迷いに変わっていった。あの時、僕は彼女を追いかけて、きっちり断る必要があったのだ。彼女は脆い存在なのだ。冬空の下、彼女を凍えさせて良いのだろうか?
 バスを降りると僕は、駅の方向に向かわずに映画館のある方向に歩き出した。夜まで時間を潰すのだ。
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2007年01月10日

白い紙飛行機を飛ばすように、寒い朝に白菜の漬物を切ることについて

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Neil Young & Crazy Horse / Zuma

 冬の朝、私は台所に立ち、白菜の漬物を切ろうとしていた。

 ピムは、キャビネットを開けて、パパが大切にしている飛行紙を取り出した。飛行紙は目が痛くなるほど、白く光輝いている。「クソ白過ぎ。クソ眩しい」ピムはブツブツ文句を言いながら飛行紙を折って行く。飛行紙は堅く、折るのに手間がかかる。「クソ痛てぇ! 指、クソ切っちまった。血がクソ出てきた」ピムは指先を押さえて洗面台に飛んで行く。指を水で洗って絆創膏を貼り付ける。「クソ! 怪我しちまった! クソだ、俺」

 ピムは、絆創膏の指を何とか動かして、紙飛行機を織り上げた。
『ペーパーエアプレインのジョセフィーンです、閣下。これからペーパーエアプレインの使用法をご説明致します、閣下。まず、このペーパーエアプレインは…』ジョセフィーンの流暢な解説が始まる。ピムは忌々しそうに、そいつを遮る。「うるせいクソ! クソ黙ってろ! クソ紙飛行機のクソ野郎! 黙って飛行機を飛ばせクソ! 」

 紙飛行機はピムの意識を乗せて、窓の外に飛び出した。紙飛行機とピムは、庭の芝生の上を舞い上がる。「何処に参りましょう?閣下」操縦士のジョセフィーンはピムの意識に尋ねる。「うるせぇい、クソ! 黙って飛んでろ、クソ! 忠告するな、クソ! 指図するな、クソ! 大人みたいな事言うな、クソ! 燃やすぞ、クソ!」

 紙飛行機はしばらくピムの住む町の上を飛んでいた。ピムは下を見下ろして、散々文句を言う。「クソ食用ウサギのタバランか。クソ、ピョンピョン跳ねやがってクソだ。転べ、クソ」ピムはケケケと笑う。「あ、あっちにはモールス先生がいる」モールス先生はピムの担任女教師だ。「モールス先生の髪の毛はマシュマロみたいだ……」それからピムは黙ってしまう。

 「如何です? 閣下。空の旅は?」しばらくしてジョセフィーンは尋ねてみる。だがピムの返事はない。
 紙飛行機はピムの町を離れて郊外に飛んで行く。広々とした田園風景が見渡せる。
「南の方向に音を作る工場がある。そこに行け」ようやくピムが口を開く。ジョセフィーンは、ホッとしながら進路を南に取る。

 音工場では様々な音が加工されている。衝突音、落下音、衝撃音、生活音、清音などなど。音工場の付近には、そこで働く労働者達の住居が立ち並んでいた。
「2ブロック先の茶色のレンガの家で止めろ」ピムは沈んだ声で指図する。
 茶色のレンガの家には、人の気配がなかった。それからピムと紙飛行機は、そこに止まって待った。まるで時間が静止したように、誰も見動きしなかった。

 空が茜色に染まる頃、一人の女性が、まだ幼い子供の手を引いて戻ってきた。ピムと紙飛行機は空の上から、それを見下ろしている。ピムはグスン、グスンと鼻を鳴らし始めた。それから小さな小さな声で「ママ……」とつぶやいた。操縦士のジョセフィーンには、それである程度の事情が飲み込めた。多分、ピムのママはピムとは別の家族と暮らしているのだ。

「閣下。行きましょう! わたくし何処へでも御伴致します!」操縦士のジョセフィーンは快活な声を上げた。
しばらく黙っていたピムは暗い声でこう答えた。「氷が見たい。白くて大きな氷が見たい」
「了解、閣下。飛び切り大きな氷を見に行きましょう」
紙飛行機は大空に舞い上がった。この大地の果ての果てまで高速で飛んで行く。

 瞬く間に白い氷の世界に着いた。見渡す限り真っ白な氷で覆い尽くされている。汚れた物など、どこにも見当たらなかった。何もかも純粋に輝いている。
「どうです閣下? どんな眺めです?」

「ああ、綺麗だ。クソ綺麗だ。白くて、クソ美しい……」


 台所で白菜の漬物を切っていると、そんな物語が思い浮かんだ。
それは寒い冬の朝のことだった。
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2007年01月08日

Ooo おばあちゃん(Ooo Baby Baby)

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The Tracks Of My Tears / Smokey Robinson & The Miracles

 この世で信じられるのは、おばあちゃんだけだった。

 記憶に浮かび上がる、おばあちゃんは良く陽の当たる縁側で縫い物をしている。針を頭皮に当ててコリコリと引っ掻く。「こうすると油を注したように針の通りが良くなるんだよ」おばあちゃんは、うつむいたまま僕に言ったっけ。僕は用事もないのに、おばあちゃんのそばで、ぼんやりと佇んでいる事が好きだった。おばあちゃんは何も話しかけず、黙々と針仕事を続けた。それが僕には、とても心地よく、何処よりも暖かい場所に思えた。

 秋になると、おばあちゃんは僕の為に茹でた栗を包丁で剥いてくれた。おばあちゃんは、とても器用に栗をプルンと剥いた。僕は剥きあがった栗をポーンと口に放り込んだ。
 夕方だ。日が翳ろうとしている。僕とおばあちゃんは飯台に並んで座っている。旧式のテレビに映し出されているのは吉本新喜劇かな?木村進や岡八郎の顔が見える。僕はそれを観ながらハハハハと笑う。そしてまた栗が剥きあがる。僕は、すかさずポーンと口に放り込む。おばあちゃんはニコニコと僕の顔を見て笑っている。「さあ〜どんどん剥くからね。食べておくれよ。腹いっぱい」おばあちゃんは、シュゥシュゥと手早く栗を剥き続ける。飯台の上に剥きあがった栗がコロコロと並んでいく。

 次は、冬だ。おばあちゃんと僕は餅を食べている。おばあちゃんは古いストーブの上に白い餅を並べる。それから海苔と砂糖醤油を用意する。餅は早くもプ〜と膨らむ。僕が急いで手を伸ばすと、おばあちゃんはその手を払いのける。「まだダメだよ。九九を最後まで言ってみな」
 僕は立ち上がって、九九をひねり出す。
「…ににがし。にさんがろく。にしがはち…」外には小雪が舞い始めた。僕の視界には小雪と餅と数字が舞い踊っている。「…ごにじゅう。ごさんじゅうご。ごしにじゅう。ごごにじゅうご…」
 窓の外に白い煙が昇ってゆく。パチパチと木がはじける音がする。「今日は『どんど焼き』だよ」と、おばあちゃんが言ってた。『どんど焼き』って何だろう? はちにじゅうろくの次はなんだっけ? いつになったら餅は僕のお腹の中に入るんだろう? 僕はいつまで、おばあちゃんと一緒にいれるのかな? 白い雪が炎の中に飛び込んで、バチバチと弾け飛んだ。

 春になって梅雨が始まる前に、おばあちゃんは死んでしまう。僕は覚悟を決めて丸一日泣き続けた。僕が、おばあちゃんに返せるのは涙だけだった。ありがとう、おばあちゃん。涙だけど受け取って。涙だけど僕の想いの全部だから。
 Ooo おばあちゃん、Ooo おばあちゃん。泣き止んだら僕は行くから。泣き止んだら僕は夏に向かって行くから。

 Ooo おばあちゃん、Ooo おばあちゃん……
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2007年01月07日

Daryl Hall & John Oates的空間

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Daryl Hall & John Oates / H2O

 我々は、空間に生きる。そこに暮らし、そこに死ぬ。
それは、過去から未来へと数珠繋ぎに連なり、絡み合い、移り変わる。
ある時、君の脳裏に、裏通りを照らす街灯のようにポツンと明かりが灯る。
「Daryl Hall & John Oates的空間とは?」

 君は、高くそびえ立つタワーの前に立っている。
見上げるとタワーの頂上近くに展望台が設置され、人々が君を見下ろしている。
 君はタワーのロビーに足を踏み入れる。そして、展望台までノンストップで駆け上がるエレベーターの前に立つ。
 君は下を向いて考え事をしている。やがて、エレベーターの扉が開く。
君は、下を向いたまま、そこに乗り込む。
 
 ようやく顔を上げた時に君は気付く。
そこにはDaryl HallとJohn Oatesが二人並んで立っている。他には誰もいない。
君の後ろで扉が閉まる。
 君は、そこから逃げられない。

 君はDaryl Hall & John Oatesと目を合わせないように扉の方向を向いて息を潜める。でも、君はDaryl Hall & John Oatesから逃げられない。
 何故なら、そこはDaryl Hall & John Oates的空間だから。

 Daryl Hall & John Oatesの二人は、理不尽なほどに真剣な眼差しで立っている。飛び出すほどに見開かれた瞳には、たぎる程の情熱が猛烈に燃え盛っている。そして二人は顔から滝のような汗をかいている。顔面から、ほとばしる汗は濁流のように頬を流れ落ち、やがて派手な柄のシャツをグッショリと濡らしている。

 君は、Daryl Hall & John Oatesに含まれる。彼らにもてあそばれ、彼らに撫で回される。彼らに蹂躙され、彼らに慰められる。彼らに溺愛され、彼らに甘やかされる。彼らに不必要なほど癒され、泣きたくなるほど楽しまされる。

 君は震えて立ち尽くす。君の頬からも大粒の汗が滴り落ちる。焦げつくほどの熱気がエレベーターの中に充満し、君はジリジリと最後の瞬間へと追い詰められて行く。

 長い長い苦痛の末に遂に扉が開いた。展望台に到着したのだ。
君は、決して後を振り返らずに展望台のトイレに駆け込む。君は、そこで何度も嘔吐する。
 ようやく気分が落ちつき、トイレの扉を開ける。
そこにはDaryl Hall & John Oatesが汗だくで立っている。

 君は、そこから逃げられない。
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2007年01月04日

13月目のジム・モリソン@

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The Doors / 13

 年が明けると、すぐにオイラはジム・モリソンを探しに出かけた。

 それは冷たい朝。吐く息も凍る頃。指先が、かじかんで上手く動かない。そいつはクリスマスのフライドチキンみたいだった。オイラはクソッタレの指先を苦労してポケットに詰め込んだ。
「出かけるよ。母さん」オイラは通告する。
「どこへでも行きな。音楽が終わっちまうよ」母さんは変なセーターに首を通してる最中だった。そのセーターには最初から首なんて付いてなかった。それでも母さんは一日中、首のないセーターに首を突っ込もうとしていた。バカげている。でもオイラは母さんを笑えない。オイラだって首の通る穴さえあれば、いつだってそこに潜り込むつもりさ。だけど、この家には、そんな穴は開いてねぇんだ。あばよ、母さん。鳴り止む前に行くよ。オイラの音楽がさ。

 大地に触れずに。たぶん、少しも大地に触れずに。オイラは決まりきった約束事を綺麗さっぱり放り投げて、スパニッシュ・キャラバンに飛び込んだ。
「ヘイ。ローディ。どこまで行くんだい?」そいつが団長か。長く色鮮やかな鳥の羽根を帽子に挿している。骨ばった細長い顔は、砂に汚れた髭に覆い隠されている。
「ローディ。答えろ!」団長らしき男は、馬の手綱を強く引く。まあ、そうカリカリするな。オイラは男の背後に忍び寄る。
「12月が終わる頃。13月目の季節が始まる。そこにあの男が待っている。知ってか?」
オイラは団長らしき男が、そいつの名を口にするのを、そわそわしながら待っている。言え! 口にしろ! その悪魔の言葉を持つ男の名を!
 オイラは呪文のように繰り返す。『突き抜けろ。向こう側に。突き破れ。向こう側へ』

「ヘイ。ローディ。忘れるな。音楽が終わる前に帰ることさ。ママの腕の中にな」
 やがてキャラバンはオイラを置いて姿を消してしまう。オイラは一人砂漠に残される。
 そして、その音が聞こえる。オイラの後ろでその音が聞こえる。扉が閉まる音だ。
 たった今、その扉が閉ざされたんだ。
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2006年12月20日

December Will Be Magic Again

Kate Bush.jpg 冬の公園.jpg

 僕は、彼女の部屋に来ていた。
彼女は、台所でシチューを作ってる。さっきまで一緒に買い物に行っていたんだ。
ブロッコリーとマッシュルームのホワイト・シチューを食べようか。彼女は、僕にそう言った。
買い物を済ますと彼女のアパートまで歩いて帰った。ずいぶん寒くなってきた。歩道には銀杏の葉が降り積もっていた。葉の散ってしまった木々は、見ているだけでも心細く感じられた。

「冬の街って、なんだか寂しいね」彼女は僕に言った。
「そうだね」
「冬の街を眺めていると耳ウサギの話を思い出すわ」
「耳ウサギって?」
「耳ウサギはね。寒い冬の夜に現れるのよ。冬の星座の光を浴びると、耳が黄色く光り始めるの。耳ウサギを抱いた者は、一つだけ奇跡を起こす事が出来るって言われているわ」

 木枯らしが吹いて僕らは肩を寄せ合って歩いた。
「誰もが奇跡を求めて、耳ウサギを捕らえようとしたわ。でも耳ウサギは、とても利口で、どんなに大勢の人間から追われても、どんな罠を仕掛けられても、決して捕まらなかった。
 ある夜、年老いて身体の弱った男が、雪山にうずくまっていたのね。耳ウサギは彼を助けようと、彼の胸の中に飛び込んだのよ。
『あなたは奇跡を起こす事が出来ます。あなたが心から求める物事を思い浮かべるのです』そう耳ウサギは、年老いた男の心に語りかけたのね。
 男は『私は、全てを失って、もう疲れ果ててしまった。私の願いは消えるように死ぬ事です。それだけです』そう願ったの。奇跡が起きて、男は眠るように穏やかに死んでしまった。
 耳ウサギは愕然としたのね。彼の願いは叶えたけれど、結果的に耳ウサギは男を殺してしまったからよ。耳ウサギは、死んだ男のそばを離れる事が出来なかった。男と一緒に雪に埋もれて、死ぬ事を選んだの」彼女の話は、そこで終わった。

「う〜ん。救いのない話だね。何かの本で読んだの?」僕は彼女に聞いた。
「ううん。今、私が思いついたの」彼女はニッコリ笑って言った。

 部屋の戻ると、ケイト・ブッシュの「12月は魔法の季節」を、かけてくれた。「これもクリスマス・ソングなのよ」彼女は言った。
 僕は、ジャガイモの皮を剥くのを手伝った。シチューの鍋がコトコト音をたてた。
 ふと窓の外に目をやると雪が降り始めていた。僕らはガラス窓に顔をくっ付けて、それを眺めた。
「不思議ね。冬の街は寂しいのに、雪が降り始めると途端に暖かな気持ちになるわよね。」彼女は、外を見ながら言った。
「そうだね。不思議だね」
「きっと私達の周りには奇跡が沢山起こっているのかもしれないわね。私達が気付いていないだけで」

 僕は彼女の肩に腕を廻した。彼女の肩は小さくて、僕には彼女の存在そのものが奇跡のように思われた。



☆2年前に書いたクリスマス関係。あれから2年経ちますね。どんどん悪くなったような気もするし、幾らかマシになったような気もします。
どっちにしても、どっちでもいいです。
で、この文章は書いた時は愛着があったのに、今読むとヒドイです。
posted by sand at 18:23| 超短編小説C | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月16日

瓦礫の茶漬け(最終回)

Strange Times.jpg
The Chameleons / Strange Times

 私は汗をかいていた。どうやら妻は感づいたようだ。どうする?どうやって、この状其を切り抜ける。頭を使え。考えろ。時間が必要だ。冷静にならなければならない。今、全部をブチ撒けるのは拙い。属き伸ばそう。出来るだけ冷静に。出来るだけクールに対応しなければ。
 だが、それより気にかかるのは妻の様子だ。おかしい。どこか狂気じみている。ストレスから精神症になったのか?だとしたら私の責任だ。私の罪だ。
 
 妻が私に差し出した『お茶漬け』は、白く濁っていた。ムッとした異臭が漂ってくる。私は胃の奥から込み上げて来る物を必死で我慢する。
「どうぞ。熱いわよ。気を付けて」妻は私の向かいに座って微笑む。

 落ち着け。冷静になれ。怯まず受けとめる。
私は出された茶碗に手を伸ばす。冷たい!お茶漬けの茶碗は氷のように冷たかった。陽動だ。怯むな。私は白く濁ったお茶漬けを、ゆっくりと持ち上げ、もう片方の手に持った箸を浸す。コツン。箸はお茶漬けの中の異物にぶつかって音をたてる。私はその異物を箸で挟んで持ち上げる。現れたのは、白い骨だった。何の骨だ? 鳥か? 豚か? それとも人なのか?
 その瞬間、私の中で何かが弾け飛んだ。身体の奥底から震えがやって来た。そして、それは直ぐに私を飲み込んだ。私の身体はブルブルと激しく震え始めた。自分では止められない。震えは加速的に大きくなって行く。もう、茶碗を持っていられない。お茶漬けの茶碗は、私の手から滑り落ち、床に落下して割れた。中から現れたのは白い骨と黒髪だった。長い髪だ。グルグルに巻かれてある。女だ! 女の髪だ!
 私は悲鳴を上げた。その瞬間、切り裂くように妻の笑い声が響き渡った。妻の口は大きく耳まで裂けていた。化け物だ! 私は腰を抜かして床に這いつくばった。股間から小便が音を上げながら噴出す。「ごめんなさい! ごめんなさい! 悪かった! 悪かった!」私は床の上を悲鳴を上げて逃げ惑う。

「何を謝ってるんだよ! 何が悪かったんだよ! うひゃひゃひゃ〜!」妻は恐ろしい口を開けて笑った。それからリビングに通じる扉を開けた。
 扉の奥は暗闇だった。目を凝らすと、その暗闇に真っ赤に光る二つの目玉が見えた。猛獣のような低く押し殺した呻き声が聞こえる。
 妻は、暗闇の化け物に何事か話しかけた。
「ねぇあんた。そこに寝てる男。私に謝ってるんだよ。おかしいね〜。ねぇあんた、そいつを食っちまいなよ。うひゃひゃひゃ〜!」

 妻は暗闇の化け物と親しそうだった。いつからだ? いつから、そいつは、そこにいたんだ? いつから、そいつと出来てたんだ? いつから、私を欺いていたんだ?

 まったく情けない事に、その時、私が感じていたのは、恐怖よりも嫉妬だった。



おわり。


☆まったく、お粗末な内容でした。すいません。次ぎは、もっと頑張ります。
posted by sand at 16:02| Comment(3) | TrackBack(0) | 超短編小説C | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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