2011年05月07日

若葉のころ/眠る鳩

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若葉のころ ビージーズ作品集

 車を走らせて叔父の家に向かっていた。5月のゴールデンウィークも終わり、町には静けさが戻っていた。
叔父の家を訪れるのは十数年ぶりだった。訪問の目的は少しばかりのお届け物とある人の消息を尋ねるためだった。
 その人は真理子という名で、私は独身時代の数ヶ月を彼女と同じ職場で働いていた。

 今から十数年前、私はそれまで働いていた仕事を辞め、家業を継ぐことになった。実家に戻る前の数ヶ月間、私は叔父の家に寝泊りして仕事の見習いをした。同じように自営だった叔父に営業を教わるためだった。

 真理子さんはそこで事務の手伝いをしていた。真理子さんも体調を壊して、それまで働いていた職場を辞めたばかりだと叔母から聞いた。彼女の母と叔母が知り合いだったようで、週に何日か事務の手伝いを頼んだと聞かされた。

 彼女は綺麗な顔立ちをしていたが、病気明けのためか、ひどく痩せていて、頬がこけ、顔色も悪かった。それでもその清楚で凛とした佇まいに心引かれた。と言っても当時の私はチャラチャラした軽薄な男で別に付き合っている女の子もいた。何度か真理子さんを食事に誘ったがアッサリ断られた。諦めかけた三度目に公園に誘うと意外に簡単にOKが出た。ボートに乗りたいと言うので晴れの日曜日に彼女を誘い出した。

 その日はとても暖かな五月晴れで、私はデート中に関わらず幾度も居眠りをしていた。その公園には比較的大きな池があり、白鳥の形をしたボートやペタルを漕いで進むボートが何艘も池に浮かんでいた。私たちは普通のオールを使うボートに乗った。池は四方を森林に囲まれ、滴るような緑が周囲はもちろん、水面にも映し出されて、深い深い森の奥に浮かんでいるように感じられた。彼女は白いワンピースにつばの広い帽子を被り、典型的なお嬢様スタイルだった。私は古い映画のワンシーンのようだと思った。彼女は片手を水に浸し気持ち良さそうに微笑んでいた。

 その時の私はとても眠くて、睡魔と闘いながら彼女の仕草を目で追っていた。私はウトウトしながら何度か鳩の鳴き声を聞いた。「鳩がいるのかな?」私は辺りを見回して彼女に尋ねた。真理子さんは私に視線を合わせて「いいえ。鳩は寝ています」と言った。

 そんな風にして彼女の眠る鳩の話は始まった。彼女はお婆ちゃん子で二人で鳩の世話をしていた。彼女と祖母はとても穏やかで楽しい日々を過ごしていた。月日が流れ、彼女の祖母は病魔に侵され、やがて帰らぬ人となってしまう。彼女は大変、嘆き悲しんだが、不思議なことに祖母が死んだその日から飼っていた鳩が見当たらなくなっていた。なおさら彼女の悲しみは増して半狂乱になってしまったと言う。しばらくして意外な場所でその鳩を彼女は見つける。それから彼女の気持ちも次第に治まっていったと言う。

「鳩は私の中に眠っていたの。そんな気がするって事じゃないわよ。私の胸の奥から鳩の寝息や羽が擦れる音が聞こえてきたの。そのうち鳩の鼓動も身体の温もりも伝わってきた。きっと御婆さまは私に鳩を託したのよ。そして、その事が、私は生き続けなければならないと気付かせてくれた。多分、その時になって初めて御婆さまの死を受け入れることが出来たんだと思う。私は生きる。そしてその鳩を決して目覚めさせてはいけない」

 日差しは眩しく私は宙に浮かんでいるような錯覚に陥った。彼女の身体は時々透き通って向こう岸の緑に溶け込んでいるように見えた。でも、それは錯覚で、私はとても眠かった。

「私はそれからとても静かに生活することにしたわ。大きな音や激しい揺れを極力避けて生活した。私の鳩が目覚めないように。
 それから私は考えたわ。これは素晴らしいことなんだって。考えてみて。世界中の人の胸に鳩が眠っていたら。この世界のすべての人に無垢な鳩の寝息が聞こえたとしたら、きっと世界は変わると思うの……」

 真理子さんの話で覚えているのは、それが全部だ。私はひどく眠くなって、それ以後の記憶が曖昧になっていた。その日彼女と、どうやって別れ、どうやって自分の部屋に辿り着いたのかも覚えていない。ただ私はその夜から、高熱を出して数日寝込んだことだけは覚えている。

 ほどなく私は実家に戻り家業を継いだ。あの日の後、何度か真理子さんと顔を合わせたと思うが、その時、どんな会話をしたのかまでは覚えていない。不思議なくらい、その辺りの記憶が曖昧になっていた。

 私は叔父や叔母に会って、真理子さんと連絡を取りたかった。もちろん今の私は結婚して子供もいた。彼女に会って私に今起こりつつある事を相談したかったのだ。

 叔父の家は数十年前と少しも変わっていなかった。叔父と叔母は少し歳を取ったが、まだまだ健在だった。私は軽く近況を話し合った後に、真理子さんの話を切り出した。
「一緒に働いてた。マリちゃんって今どこにいるのかな?」
叔父と叔母は不審な顔をして「マリちゃんって誰?」と聞き返してきた。
「何、言ってるんですか、事務の手伝いをしてたじゃないですか。真理子さんですよ。病気の療養中で」私の問いに叔父と叔母は首を振るばかりだった。叔母は堪り兼ねたように「お前が家で働いてるときに事務の手伝いをしてたのは、お前も知ってる従兄弟の明美だったじゃない」と言った。叔父もそうそうと頷いた。

 確かに明美なら子供の頃から良く知っている。昔から体格が良くて明るくサバサバした性格でガハハと豪快に笑う。そんな訳がない。確かにその事務机に髪を束ねた真理子さんが座っていた。青白い顔をして弱々しく微笑んだ。「ちょっと、その時撮った写真持ってくるよ」叔母は母屋へ駆け出して行った。
 当時、明美は仕事を辞めてブラブラしていたので、叔母さんが強引に事務の手伝いをさせたと叔父は説明した。お前と始終ケンカしていて賑やかだったよ。と付け加えた。

 叔母は写真を手にして戻ってきた。写真には20代の私が写っていた。叔父と叔母、それに真ん中で大きな口を開けて笑っているのは確かに明美だ。この家には、小・中学校の時に何度か来ただけで、それから、ここで働いていた時まで一度も来ていない。それ以後も今日まで来ることはなかった。でも間違いなく私は真理子さんとここで会話した。叔父たちと四人で食事もした。私は記憶の足跡を追った。それでも決まって同じ場所に辿り着くだけだった。

 混乱した頭で叔父と叔母に別れを告げ、車をあの日に真理子さんと行った公園まで走らせた。深い緑に囲まれた池のほとりまで来て、私は彼女の気配を感じた。彼女はここに身を潜めているのだ。誰かに近づくと、その人の記憶にソッと忍び込む。そして彼女の鳩を産み付けるのだ。

 不意に爆音とともに花火が打ち上げられた。この公園のグランドでイベントが始まったのだ。ロックバンドが爆音を撒き散らし、大勢の人の歓声が響き渡った。私はその場にうずくまって両耳を塞いで震えていた。私は自分の胸を大切に大切に守った。
 
 私の鳩が目覚めないように。



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2011年05月01日

I Am A Child

Last Time Around.jpg
Buffalo Springfield / Last Time Around

 ジムから戻ると妻のアキコと次女のユリナが昼ごはんを作って待っていた。
土曜日は朝のうちに仕事を切り上げて、午後からゆっくり過ごす。仕事帰りに近所のジムに寄って汗を流す。
ユリナは高校生にもなるが土曜日は家族の日と決めていて彼氏や友達との約束を入れていない。

 お風呂にゆっくり浸かって、3人でお昼ご飯を食べる。炊き立てのご飯とお味噌汁とお漬物と…まあ、そんな感じで質素に済ます。桃や.jpeg
今日のお味噌汁には、しめじとミョウガが入っていた。辛子明太子と桃屋の若摘み葉唐がらしをご飯に乗せてモソモソ食べる。
桃屋の若摘み葉唐がらしが最近の私のブームだ。

 アキコとユリナは、ユリナのバイトの話で盛り上がっている。私はテレビを横目で見ながら会話に入って行けないでいる。
「アヤネとユリナがね。お父さん改造計画を練ってるんだって」アキコが少し気を使って会話を振ってくれた。
「俺、改造したら大変なことになるぞ」私は多少ウケ狙いで話しかけたが、さっぱり、ウケなくて無視された。またテレビに視線を戻して少し凹む。

 もう何年も娘の目を見て会話が出来ない。恥ずかしい。自分は薄汚い中年だと必要以上に意識しているのかもしれない。いつも頭を悩ましているが、どうにもならない。
どうにもならないまま、長女のアヤネは関西の大学に旅立ってしまった。
 私が悩んでいるのを知ってかアキコが「二人ともお父さんを尊敬してるって言ってたよ」と嬉しいことを言ってくれる。私はもう少し詳しいことが聞きたい。掘り下げて検証したい。私は次の言葉を待つがアキコの話しには一貫性がなく、あっちこっちに飛んで行って、もう戻って来なかった。

 食後、自分の部屋でぼんやりCDを聞いてると、関西にいるはずのアヤネの声が聞こえた。慌ててリビングに顔を出すと、アキコとユリナがパソコンのスカイプでアヤネと話をしている。「ああ、スカイプか」私はパソコンの中のアヤネをチラ見する。元気そうだ。

「ああ、お父さん、アヤネがね。プリンタの印刷が出来ないんだって」とアキコが私の顔見るなり言った。
 おお。私の出番だ。私はこの方面でのみ存在感を示せる。「ああ、どいて。どいて」私は急に偉そうになる。私がアヤネに設定を教えていると、アキコとユリナは部屋を出て、どっかに行ってしまった。

 印刷の設定は簡単に済んだ。私は印刷が出来るか確認して「じゃあな」と言ってスカイプを切ろうとした。すると「ああ、お父さん」とアヤネが止めた。
 それからアヤネは「お父さん、ありがとう」と言った。私は一瞬言葉が出なくなる。娘にいろんなことを伝えたかった。でも私が伝えることなどに何の価値があろう。すべては娘が経験して学んで行くことだ。
「お前の好きなことを思い切ってやりなさい。お父さんとお母さんは、それが一番嬉しいよ」私はそれだけ言ってスカイプを切った。

 ソファに寝転んでいるとアキコが戻ってきて「アヤネと何か話せた?」と聞いてきた。私は「別に」と答る。アキコは見下すように「ほんとに子供ね」と吐き捨てて、またどこかに行ってしまった。

 私はソファに寝転んでリビングに差し込む午後の柔らかな日差しを浴びている。窓から差し込む日差しは黄色いカーテンで大部分が遮られていた。それでも、幾らかの光がカーテンを通り越して私に届いている。多くの物事は、そんな感じで、幾らか届いているものだ。
 届いているのだと思う。



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2011年04月24日

深海

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 ロミ郎が僕の部屋に現れたのは、深夜3時を回った頃だった。その日のロミ郎は、珍しく酔っていた。片手にアーリータイムスのボトルを下げ、トロンと眠そうな目つきをしていた。
「ちょっと歩かないか?」ロミ郎は僕を誘った。僕は少し迷ったが誘いを受けることにした。今日のロミ郎の様子がいつもとは違う感じがして、幾分心配になったこともあった。

 表に出ると思ったより寒かった。「寒いだろ?」僕はロミ郎に聞いた。ロミ郎は何も言わずウィスキーのボトルを差し出した。僕はボトルを受け取るとラッパ飲みで体内に流し込んだ。胃の中にアルコールが落ちて行き、静かに燃え上がった。

 ロミ郎も歩きながら何度か、それを流し込んだ。らしくない。ロミ郎にしては、ずいぶん荒っぽい。何か忘れたい事があるのかもしれない。

 ロミ郎は変わり者で通っていた。実際、ひどく無口だったり、ある時には大声で騒いだり、つかみどころの無い男だった。それに変な噂があった。ロミ郎はホモで初老の紳士と付き合っているという噂だった。僕はそんな噂を知りつつ、それでもロミ郎と一緒に行動することを好んだ。ロミ郎と僕は不思議なくらいに気があった。

 大通りから折れて細い路地に入り込むと、向かうから歩いてきた4人組みの男とロミ郎は、ぶつかりそうになった。男達も酔っていた。一人の男が声を荒げてロミ郎に詰め寄った。ロミ郎は無言のまま、詰め寄った男とにらみ合いになった。

 ロミ郎はやるつもりだ。普段のロミ郎は、もの静かな男だったが、時々手がつけられないほど荒れる事があった。どんなに殴られても蛇のように絡み付いて離れなかった。それを知る者は気味悪がって、ロミ郎には近づかなかった。僕は小心者だったが、かなり荒っぽいスポーツを長くやっていたので肉弾戦には抵抗がなかった。相手が手を出せば、ロミ郎は向かって行くだろう。僕は覚悟を決めて拳を握り締めた。身体が熱くなってワナワナと震えた。

 文句をつけた男は、大声でロミ郎を罵倒したが、ロミ郎は少しも怯まず、男を無言でにらみ続けた。男の連れが後ろから声をかけた。「こいつら頭がいかれてるぜ。こんなヤツに構うな」連れの男は、文句をつけた男をロミ郎から引き離した。文句をつけた男はロミ郎に捨て台詞を吐いて、そこから立ち去って行った。

 ロミ郎は暗い目つきのまま、再び歩き始めた。男達の言い分は、少しも間違ってはいなかった。その頃の僕らは、間違いなく頭がいかれていたのだから。

 大きな川に沿った遊歩道に出た。この川は海まで続いている。海に向かって歩いていると次第に夜が明けてきた。青白い光が辺りの空気を染めて行った。僕は歩を止め遊歩道に隣接した駐車場の柵にもたれて煙草を吸った。ロミ郎は川べりのベンチに腰を下ろして、川の流れを見つめていた。

「何かあったのか?」僕は気になっていたことをロミ郎に聞いた。たぶんロミ郎は何も話さない。もしくは話せない。それでも僕は聞いた。恐らくロミ郎はそれだけを望んでいた。ロミ郎は無言で首を左右に振った。

「あの子と上手く行ってるのか?」ロミ郎は普段聞かないような聞いた。玲子とは最近会っていない。少し分からなくなっていた。一人でいるほうが、ずっと楽だった。僕のそんなところが彼女には面白くないのだろう。実際、僕は少しも面白くない人間だ。「難しいね。一人でいる方が楽だよ」僕は返事をした。

「おまえは結婚するタイプだよ」ロミ郎は川を見つめたまま僕に言った。確かに僕はそんなタイプだ。僕は平均的な男だった。平均的な家庭に育ち、平均的な学校を出て、平均的な就職をする。平均的な恋をして、平均的な家庭を持ち、平均的に子供を育む。そして平均的に死んでいくのだ。僕は自分の一生を容易に想像できた。面白くない。でも、それが僕だ。

 ロミ郎は違う。他の誰とも違っていた。恐らくそれがロミ郎に引かれる最大の理由なのだと思う。彼は他の誰とも違っていたが為に、誰よりも孤独だった。ロミ郎は黙って川を眺めていた。僕は何も言わず彼を見守っていた。僕は今以上、ロミ郎に深入りはしたくなかった。ロミ郎の抱えている問題は、僕の手には、とても負えない種類のものだと想像できたからだ。

 僕は柵から離れて、川べりまで歩いた。そして朝日を浴びて次第に輝きを帯びてきた、川の流れを覗き込んだ。僕はしばらくその流れに見とれていた。川音がロミ郎の気配を消していた。気がつくと彼は僕の真後ろに立っていた。そして何も言わずに僕を後ろから抱き締めた。ロミ郎は僕に覆い被さるように強く強く僕を抱いた。時間が止まったように感じられた。僕は強い衝撃を受けて、頭が真っ白になっていた。ロミ郎の鼓動をはっきりと背中で聞いた。

「もう少しだけ、このままでいてくれないか」ロミ郎は呻くように言った。僕にはロミ郎の行為が理解できなかった。と同時に彼が可哀相に思えた。僕はロミ郎に言われるまま、じっと動かなかった。
「俺を救ってくれないか。救い出してくれないか」ロミ郎は消えるような声でつぶやいた。

 しばらくしてロミ郎は身体を離し「悪かった」と言った。僕は彼の顔を見ることも出来なかった。ロミ郎は小走りでそこから立ち去った。彼の後姿も追わなかった。僕はただ混乱していた。

 再び、僕がロミ郎の姿を見たのは、それから、ずいぶん後の事だった。僕は仕事で遅くなり、暗い夜道を自転車で帰宅していた。大きな交差点で信号待ちしていると横に黒塗りの高級車が止まった。車の助手席にロミ郎が座っていた。彼は口を半開きにして目をカッと見開いていた。しかし、その瞳には何も映っていないように感じられた。彼は目を見開いたまま虚空を凝視していた。失神しているのかもしれない。僕の身体には凄い勢いで鳥肌が立った。運転席には、初老の紳士が乗っていた。キチンとした身なりをしていた。ロミ郎の父親と呼んでも可笑しくはなかった。この人がロミ郎の恋人だろうか。運転席の男は僕に気がついて目が合った。男はとても哀しそうな表情をした。

 青いネオンライトで照らされた車中は、まるで海水の中のように青白かった。彼ら二人は深海に取り残されたように見えた。地上に切り取られた深海で、もがいているように感じられたのだ。

 信号が青に変わり、車は動き出した。僕はその車に何かを持ち去られた気持ちになった。それが僕の中にあったなんて、ずっと気づかずに生きてきた。



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2011年04月17日

ロケットマン

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 イーライがどこで産まれ、どこで育ち、どこに暮らしているのか私は知らなかった。私が彼女について知っているのは、イーライがロケットを探しているという事だけだった。

 イーライが私に近づいてきたのは、デパートの家具売り場だった。私は椅子を探していた。彼女は目の覚めるような真っ赤なスーツを着て長い髪を無造作に束ねていた。褐色の肌に黒い瞳。顔はノーメイクに近く、手にはエドガー・アラン・ポーの詩集だけを持っていた。彼女のエキセントリックさは、その強い眼差しに滲み出ていた。イーライは私に近づくなり「あなたの探しているものを私は知っているわ」と笑みを浮かべた。どうやら椅子を選んでくれるようだ。私は彼女を不審に思うより興味を持った。彼女は魅力的で、その種の不思議な雰囲気を持った女性に、従来から私は引き寄せられた。彼女は自分はイーライだと名乗った。そして「私の探しているものを、あなたは知っている」と私の瞳を覗き込むようにして言った。

 イーライは彼女の選んだ白い椅子と一緒に私のアパートにやってきた。リビングの窓の下に置かれた白い椅子に彼女は腰を下ろした。彼女はエドガー・アラン・ポーの詩集から「The Raven」を読んだ。時に声を上げ、時には無言だった。私は益々彼女に引き寄せられた。
彼女はどんな女性なのだろう? 私はそれを知りたかった。

 イーライは私が勧めた飲み物や食事を、ことごとく断った。彼女はただそこに座っているだけだった。私は幾つかの質問を彼女に投げかけたが、彼女は決してそれらの質問に答えなかった。彼女はポーの詩に登場する大鴉のように「Nevermore」と口にするだけだった。

 翌朝、私が目を覚まし、寝室から起き上がって来ても、彼女は椅子に座ったままだった。私は少し不審に思い始めたが、彼女が何を持ち出すわけでもなく、もう少し様子を見ることにした。私は少しの疑念を抱えながらも、彼女を部屋に残したまま外出した。

 その夜、部屋に戻ると私は唖然とした。部屋中の引き出しやタンスが引っ掻き回されていた。明らかに何かを物色した後だった。それでもイーライは平然と椅子に座っていた。私はイーライに詰め寄り、激しい口調で問いただした。「何が目的だ?」「どうして私に近づいた?」。しかし、どんな問いにも彼女は答えなかった。

 私は彼女を追い出すべきか迷った。当然そうするべきだった。しかし、私はまだ彼女に未練があった。今夜一晩あれば、何かを聞き出すことが出来るかもしれない。私はなんとか自分を納得させた。

 その夜は、寝室には行かず、彼女に向かい合った。しかし、どんなに夜が更けてもイーライは何も話さなかった。私は明け方になって、うとうとと眠りに落ちた。

 私は息苦しさに目を覚ました。イーライが私の首を絞めていたからだった。ただ、あまりにも彼女の力は弱かった。私は片手で彼女の身体を払い退けた。彼女の身体は風船のように軽かった。私は彼女に詰め寄り、部屋から追い出そうとした。
「どこにロケットを隠してる?」イーライは大声を上げた。「私は還れないのだ! ロケットがないと還れない」彼女は意味の分からない事をわめき散らした。私はこの女を部屋に入れたことを後悔しながら、彼女を戸口まで引き摺った。「お願いだ! 私をおまえのロケットに乗せてくれ! お願いだ」イーライは泣き叫んだ。

 外は雨が降っていた。私はイーライを戸外に放り投げ、ポーの詩集を彼女に向かって投げつけた。彼女は尚も泣き叫んでいた。私は窓からイーライの哀れな姿をしばらく眺めた後、ブラインドを降ろしてベッドに入った。

 翌朝、アパート付近を調べて回ったがイーライの姿はなかった。私は部屋に戻り、トイレに入って用を足した。タンクのレバーを引いて水を流した。もう少し力を入れてレバーを引くとレバーは一回転して隠し扉が開いた。小さな扉を背をかがめて通り抜けると発射台までの通路に出た。私はそこを歩きながら宇宙服に身を包んでいく。私はタラップを駆け上がる。ロケットの操縦席に乗り込むと一息ついて計器をチェックする。「このロケットは私だけのものだ」私はつぶやく。

 発射のボタンを押すと誰かがロケットの窓を叩いている。多分、大鴉がクチバシ使って叩いているのだ。私はそう思う。大鴉は羽ばたきをしながら大声で鳴き叫んでいる。その声はまるで女の泣き声のようだった。

posted by sand at 11:44| Comment(2) | 超短編小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月10日

プレーンオムレツほどの幸福

Bob Acri.jpgオムレツ.jpg

「プレーンオムレツは作れますか?」と彼は聞いてきた。
俺は「うちはプレーンオムレツは扱ってないよ」と返事をした。彼は少し残念そうな顔をした。
「プレーンオムレツくらい家で作れば、いいじゃないか」と俺が言うと、彼は「そんなんじゃないんです」と言った。

 4月になって忙しい時期が近づいてきた。毎年この時期にバイトの募集をかける。今年は集まりが良かった。30件ほど問い合わせがあって、そのうち15人ほど面接した。

 彼は2日目の午後にやってきた。近所の大学の2年で柔道部だと言った。大きな身体をして垢抜けない顔をしていた。でも話してみると意外なほど良く喋った。俺は彼の屈託のない笑顔や真っ直ぐな視線に、次第に引き込まれていった。

「お父さんが自営で、最近、仕事がないんです。僕の奨学金使い込まれちゃって」と彼はいかにも楽しそうに言った。
「えー、それ大変じゃん」と言うと「そうなんですけど、仕方がないじゃないですか」と彼はまた楽しそうに言った。
俺も釣られて微笑みながら「そりゃ仕方ないけどね」と言った。

 それから彼はバイト代で、なんとかやり繰りしている様子を克明に喋った。かなり細かく話した。何百何十何円の何円単位まで話した。俺は彼の大柄な体格に似合わぬ几帳面さに舌を巻いた。彼は貧乏だったが、そこには従来型のウェット感が皆無だった。彼は自分の生活の克明な青写真を広げ、様々なアィデアで果敢に現状に挑戦する姿を嬉々として語った。家庭環境の不遇を嘆く姿は、少しも見当たらなかった。実際、そんなモノを嘆いても何も変わりはしなかった。

 彼の饒舌な語りの中でプレーンオムレツは唐突に登場した。
「プレーンオムレツならファミレスのバイトが良いんじゃない?」と俺は提案してみた。
「まあ、そうですね」
「どうしてプレーンオムレツ?」と俺は聞いてみた。
「いや。良いじゃないですかプレーンオムレツ」と彼は言った。
「まあ良いけどね。自分で作って食えよ」と言うと「いや、そうじゃなくてプレーンオムレツ食べて貰いたいじゃないですか」と言った。

 話が済んで彼が帰ると直ぐに女房がサンドイッチの入った袋を提げて飛んできた。目を真っ赤にしている。隣で伝票整理をしながら話を聞いていたようだ。「これ、プレーンオムレツじゃないけど渡して」と女房は袋を差し出した。

 俺は自転車に乗ろうとしている彼を呼び止めてサンドイッチを手渡した。彼は驚いて何度も何度もお礼をした。俺は「女房が食えってよ。俺は知らないけど」と言ったが、今年はコイツを採用することに決めていた。

 彼が帰った後、女房に「いいんじゃない?」と聞くと「いいと思うよ」と女房が言ったので話は決まった。

 幸せの単位をプレーンオムレツで表す事を少し考えてみた。「1プレーンオムレツ」だとか「200プレーンオムレツ」だとか。どんなに幸せでもプレーンオムレツに変わりは無いのだ。それでも朝起きた時に四つもプレーンオムレツが並んでいたら、ものすごく幸せに感じるのではないかと思ったりした。

posted by sand at 06:24| Comment(0) | 超短編小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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